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SFファンに限らず読んでもらいたい藤子・F・不二雄のSF短編15選

なんだかSF小説を紹介する流れが来ているらしく、波に乗らずにはいられないなと思い、企画。
このサイトならではということでやってみました、
藤子・F・不二雄先生のSF・異色短編15選です。

ざっくりとSF色の高い短編を15作選んで見ましたよ。
各短編を簡単に紹介しつつ、これを期に藤子F先生の作風の幅広さを感じていただければ嬉しいです。
ではまず紹介する作品を一まとめにご紹介。
順番は雑誌初出順です。

ミノタウロスの皿
ヒョンヒョロ
気楽に殺ろうよ
定年退食
箱舟はいっぱい
どことなくなんとなく
ウルトラスーパーデラックスマン
おれ、夕子
みどりの守り神
カンビュセスの籤
老年期の終り
流血鬼
パラレル同窓会
ある日……
絶滅の島

以上の15作です。
ではここから一口に紹介。


ミノタウロスの皿(1969年):F先生が初めて青年誌(ビッグコミックス)に掲載した、実質的なSF・異色短編シリーズの処女作。宇宙船が故障して、とある惑星に不時着した主人公、その星は牛の姿をした人間が支配し、ヒトの姿をした家畜を飼育する惑星だった。人間と家畜が逆転した世界で命という価値観を巡るシニカルな作品。


ヒョンヒョロ(1971年)SFマガジン掲載。オチの凶悪度はF先生の全作品中、最凶レベル。物語のノリは「ドラえもん」のドタバタを彷彿とさせるが一貫してブラックジョーク。先入観をあまり入れずに読んでいただきたいが、とある奇妙な「誘拐事件」の一部始終を描いた作品。


気楽に殺ろうよ(1972年)ビッグコミック掲載。価値観逆転もの。「ヒトが羞恥する習慣」が入れ替わった世界に迷い込んだ男が入れ替わった世界の医者にかかって事の顛末と対処を考えるお話。ボタンの掛け違いが一変することで、恐ろしいことになると言う思考実験を描いた作品。これもオチの表現に気付くと怖くなります。


定年退食(1973年)ビッグコミックオリジナル掲載。人口過多により食糧不足になった未来の老人の行く末を描いた物語。テーマは同じ問題を描いた短編「間引き」に通じるものがあるが、より社会の警鐘を鳴らした作品。映画の「ソイレント・グリーン」に描かれる社会をより穏やかに光まぶしく描いたディストピアSF。


箱舟はいっぱい(1974年)SFマガジン掲載。世紀末もの。救われるものと救われないものの物語、あるいは情報に踊らされ、鵜呑みにする人間の愚かさ。これも一種のディストピアものか。人類終焉の足音が聞こえているにも拘らず、全てを救おうとせず、「価値のある」人間だけを救う、社会構造の冷徹さをどうしようもなく描いてしまった作品。


どことなくなんとなく(1975年)ビッグコミック掲載。家庭を持ち、何の変哲もない日常を暮らす一人の会社員。とある夢を見たことで、ふと気付く。「自分が生きている心地がしない」そして「どことなくなんとなく」実在している心地がしないこと。そのとらえどころのない感覚が彼を不安で苛んでいく。日々の日常に感じられる漠然とした不安を活写した作品。その結末に待つ虚無感が心を抉る。


ウルトラスーパーデラックスマン(1976年)SFマガジン掲載。藤子ファンでなくても知ってるラーメン大好き小池さん主演作。しかしその実、「正義も行き過ぎると狂気」というテーマを大胆にも描いた作品。ある日突然なってしまったスーパーヒーローの悲哀と孤独が滲み出ている。正義という言葉をシニカルに捉えた物語。オチの世知辛さは随一だと思われる。


おれ、夕子(1976年):少年サンデーに掲載。物凄く直裁にいえば古典SFの「ジキルとハイド」の物語を換骨奪胎させて、少年少女の淡い恋と親子の別れを見事に描ききった切ない物語。会えるはずのない少女が実在する、しかし会えない。本作は藤子Fヒロインの「摩訶不思議さ」の利点を物凄く生かしている作品でもあると思います。


みどりの守り神(1976年):マンガ少年掲載。環境SF。何らかの原因で世界が崩壊してしまった地球。しかし破壊された都市を植物が覆っていた。人間と植物、そして地球が共生関係にあると描いた作品。ゆうなれば地球を一個の生命体と捉える「ガイア理論」的な作品ではあるが、滅亡した先の再生に眼を向けた希望の残る作品として評価の高い作品。


カンビュセスの籤(1977年):別冊問題小説掲載。おそらく一番最初に紹介した「ミノタウロスの皿」とともにSF・異色短編を語る上で外すことの出来ない代表的作品。F先生の歴史好き、SF好きが物凄く色濃く現れている。この作品で語られているのは「生存」だと思う。極限状態に陥ったとき、ヒトは来るとも分からない助けを求めるために尊い犠牲は必要なのか。「カンビュセスの籤」という創作的史実に基づく、「命の必然」を描いた静かなる名編。


老年期の終り(1978年):マンガ少年掲載。アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」のオマージュ的な名作。人類という種族の老年期と若き者の新たなる旅立ちを描いた44ページの一大巨編。個人的に藤子SF短編最高傑作だと思う。もはや人類は興味も好奇心も何も無くなってしまったという流れからのそれでもなお若き世代はまだ見ぬ荒野(未来)を目指す。夢や希望や何もかもを携えて。そんなすがすがしい心にさせてくれる短編です。


流血鬼(1978年):少年サンデー掲載。吸血鬼やゾンビのような怪奇色を含みつつも、人間の残虐性を突いた作品。オセロゲームのように追い詰められていく人間側のサスペンデッドな展開を繰り広げながらも、実は……という最初の殺伐さからは想像が出来ないような結末を迎えるのがこの作品の肝。この作品の見方捉え方、発想は非常に多角的でものの見方を広げる好例かと。


パラレル同窓会(1979年)ビッグゴールド掲載。社長職と勤め、裕福な生活を送る一人の男。充足しているはずなのにどこかに物足りなさを抱えている。若いころに諦めた夢を捨てきれず、小説を趣味として書き続ける日々を送る中、パラレル同窓会という怪しげな案内状が届き…という粗筋。おそらく「可能性」と「人の幸せ」を語った一遍。夢に生きるか、仕事に生きるか、常に選択が求められる「人生」と言う道筋において、その人の「心の充足とはなにか」を読者に問い掛ける作品


ある日……(1982年):マンガ奇想天外掲載。ある日、突然起きる恐怖を描いたショートショート。物語は町内の自主映画制作愛好家たちの上映会から始まる。これもぜひ何も情報を入れずに読んでいただきたい。なす術もなく、たぶんおそらく「その時」はやって来てしまう。最終ページの最終コマに至る流れととにかく絶妙かつあっけに取られる幕切れが秀逸すぎる一品。


絶滅の島(サイレント版:1980年、台詞付き改訂版:1985年):サイレント版はスターログに掲載。改訂版は単行本収録の際に加筆掲載。突然の宇宙人来襲により、次々と人間が狩られてゆく世界。絶海の孤島に逃げ延びた人間たちだがついに宇宙人がやってきて…。と、ここまで書くと「宇宙戦争」ものっぽいんだが、この短編の結末に待っているのはあまりにも皮肉なオチ。宇宙人のやってきたことを是とするか否とするか。翻って、人類の犯してきた現実を身を持って人類が経験すると言う笑うに笑えないブラックジョーク。



<終わりに>
一気呵成に15作品紹介いたしました。
この記事を読んで、藤子F先生のSF・異色短編を読みたくなっていただけたら幸いです。
今読んでも古びないメッセージを含んだ作品ばかりなのでぜひ一読を。
というか、こんなにも早い時代に書いていたF先生の先見性に驚くばかりですが、
それ以上に、短編としての完成度はひたすら舌を巻くばかりかと思います。
尻尾まであんこが詰まった鯛焼きのごとく、
短いページ数で密度の濃いストーリーを織り込んでいく作家性には学ぶべき箇所が多々あるのではないかと。
なんにせよSFファンに限らず、もっと多くの人に知られていいくらいの面白さだと
藤子ファンとして太鼓判を押したいです。
では、そういったところで今回はこれまで。
ここまで読んでいただきありがとうございました。

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