In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)

ジャンル不問で好きなものを最小単位で語るブログ

「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#2 渇望、焦燥、羨望、友情、そして情熱


第2話『運命の舞台』
最後の最後で衝撃が走った回、と言えるでしょうか。あ、もちろん「This is 天堂真矢」の方ではなく。あれはあれで面白かったですけども、今回の感想でメインで語りたいのは別のところにあります。

今回の感想ではその辺りを周囲のエピソードにも含めて書ければなと。
一応、ネタバレですので読み進める場合は以下をクリック(スマホだと利かないみたいだけど)。




【情熱は目覚めて「しまった」】


さて、今回は名実ともに一番上の画像にも使った星見純那回であることは重々承知なのですが、あえて主役の華恋から話を始めてみたいと思います。今回も見てると結構重要なんですよ……。

私 情熱が目覚めたの 今
二度と立ち止まったりはしない
限定CD「Principal-Fancy You-」収録曲「情熱の目覚めるとき」より抜粋

上の抜粋は、会場または通販限定CD収録曲でまひるとばななと純那のユニットソング。何度か見ていて、今回を語るにはこの曲のフレーズが非常に似つかわしいのではないかと思って、取り上げました。ただしアニメ本編で情熱が目覚めたのは華恋であるということが非常に重要で。


前回あった、華恋と純那の対比でも明らかのようにあのレヴューオーディションでひかりを助けようと乱入するまで、華恋は「主役を手にすることすら興味のない」という子だったわけですね。それゆえに上段の画像では純那に「オーディションも始まっていないのに誰が『主役』なのかなんて勝手に決め付けないで」と釘を刺されるわけですが、この対比が今回のエピソードの大枠になっている。

今回で描かれているように、「自分星」を掴むために人一倍努力を重ねている純那はレヴューオーディションの事情も知らずに、勝手に乱入してきた華恋に苛立ちを覚え、選ばれてもいないのに真剣にやっている自分の邪魔をするなと痛切に訴えるわけです。

そんな剥き出しの感情をぶつけられて、戸惑う華恋。ではあるんですが、この後のシーンで彼女はかなり重要なことを語ります。

放課後の校庭でひかりに「レヴューに選ばれないのはきらめきが足りないから」と今後の参加を止めるよう警告されるも、華恋はかつてひかりと約束した「同じ舞台に立つ」という約束、というか夢を実現するために、オーディションに参加する意志を固めてしまう、というのがこの場面のくだり(途中、純那の語りなども入りますがそこは後述します)。

純那の真剣さとひかりとの再会が、華恋に舞台への「情熱」を思い出させたという一見すると主役がやる気になる、至極真っ当な展開ではあるんですが。ここも舞台版の展開を知っているとおそらく印象が異なるシーンですね。なぜかというと。
ひかりとの約束を叶えるためにきらめきを奪い合うことを無自覚にも容認してる
のですね。この一文だけで舞台版を鑑賞している方はお分かりいただけると思いますが、この校庭での会話シーンでの華恋に注目すると舞台版における彼女の態度とはまるきりバッティングするんですよね。「ひかりちゃんと一緒に立つ舞台に、先に天堂さんやクロちゃんがいたら、星見さんの言うように乗り越えなくちゃいけない」、この台詞でも明らかのようにひかりとの約束のためには他者を乗り越えなければいけない。ニュアンスとしてはわりとソフトですが、言い換えれば「二人の約束のためには先に立つ者を引き摺り下ろす」ことを暗に認めているわけです。まさしく舞台版において華恋自身が否定したことを自ら行おうとしているのです。そういう点ではここはかなり重要な語りです。なお舞台版とアニメ版の関係性についても予測はある程度立てていますが、もう少し情報が開示されてから考えたいと思います
同時に、アニメ版においては華恋が物語の先導役である以上、彼女自身の内面、考えが言葉の端々から露わになるのも舞台版ではあまり見られなかった光景。というより舞台版では行動と言動が一致しすぎていて、彼女自体の個性みたいなものが見えてこなかった、というのが大きな要因でありましょう。だからこそ「愛城華恋は何者なのか?」という疑問が浮かんできたわけですが。少なくとも、アニメ版ではその辺りの補足は成されそうな雰囲気はありますね。

私 情熱が目覚めたの 今
夢はとっくに始まっていた
ずっと臆病だった 怖くて見ないフリしてただけ
限定CD「Principal-Fancy You-」収録曲「情熱の目覚めるとき」より抜粋

再び「情熱の目覚めるとき」からの抜粋。以上のことからも、華恋が「ひかりとの約束」を改めて実感したからこそ「舞台少女」としての華恋を目覚めさせてしまったという感じでしょうか。純那がぶつけた感情が、華恋の「情熱」を目覚めさせてしまう引き金となってしまっている事が今後どう影響してくるのか。


それ以上に前回ラストで「バッ華恋!」と叫んだひかりは意志を表明した華恋に何を思うのか。いや、そもそも舞台版のことを考えると、ひかりの態度と行動もアニメ版では華恋を参加させたくない割には、かなり不用意に彼女へ干渉しているように見えてしまい、かなり詰めの甘い行動を取っているようにすら感じてしまいます。ここもまた舞台版の展開とあわせて考えたい箇所ではありますね。

ここの会話の部分のひかりの表情だけを取ってみると、堅い仮面が剥がれ落ちているようにも見えます。ぜんぜん感情を隠しきれていないのがご愛嬌といえばご愛嬌なのでしょうが、少なくとも彼女は華恋が「ポジション・ゼロに立つこと」、「レヴューオーディションに関わること」を快く思っていないのは確か。しかし、彼女もまた華恋に振り回されるキャラなので、二人の関係が推移することにより何かしらの変化があることを期待したいですね。


【自分星を掴み損ねた理由、そして】
さて。
2話の本筋は星見純那にまつわるエピソード。

アバンタイトルの早朝のシーン。彼女の机には聖翔祭へのスケジュールを記したプリントに手書きのメモ。「自分星」は彼女ならではのフレーズなのでしょうが、これこそが今回のエピソードの核の部分でもあります。と、同時に華恋との勝敗を分けた要因なのかもしれない、という所を本項では見ていきたいと思います。
ところで今年1月の公開されたPVではこんな文言が躍っていましたね。

この「少女☆歌劇レヴュースタァライト」という物語が「執着の物語」であることが示されたコピーですが、「舞台」「約束」「少女」それぞれ三つの執着に分けられています。これらはもちろん華恋とひかりに当てはまるフレーズではあるのですが、一つ一つをとってみると他の登場人物たちにも当てはまる「執着」であったりもします。
今回ピックアップされた、純那においてはもちろん「舞台」への執着、ということになるでしょう。

かつて見た舞台に憧れて、「星」になりたいと思った。しかし現実はそう甘くもなく、先を行く同世代たちがひしめき合う聖翔音楽学園に身を投じた純那は寝る間や食事の合間も惜しんでも、「自分星」を掴むために努力と研鑽を惜しまない。

だが目の前にはトップに立つ二人、天堂真矢と西條クロディーヌが立ちはだかる。彼女たちは昨年の聖翔祭で行った演目でも主役を張ったライバル同士。そして純那が「自分星」を掴む為に乗り越えなければいけない存在。「自分星を掴む」という彼女の舞台に対する渇望と二人を追い抜くためには時間を無駄に出来ないという焦燥が、彼女の心を苛む。

そういった気持ちの逸りが思わず口に出てしまう位には自他に厳しく、同時に切羽詰っている「舞台」への執着が彼女を孤立させる。自分の目指す高い目標には今までは辿り着けないという弱さと、自分にはないきらめきをもったトップの「舞台少女」に対する羨望が入り乱れて、努力に対する無力感もあるのかもしれない。しかし諦め切る事は出来ない。「自分星」を掴みたいという思いこそが純那の「舞台少女」としてのアイデンティティなのだから。


というのが、今回描かれた純那の背景。優等生で努力家である以上、その上を行く才能ある者たちへの届かなさというものを思い知らされているというのが前提にあって、彼女はレヴューオーディションに参加するわけですね。どのキャラも舞台版とは設定が同じなれど、人物像が微妙に一致していないのがこの作品らしいミソではあるのですが、純那も同様に「自らが凡人である」自覚が強く表れているのがやはり重要といえば重要。元々の賢さゆえに自らの立ち位置が見えてしまっているのも彼女にとっては辛い所でもあり、努力に縋るしかないという諦めの悪さにも繋がっているのだろうと思います。

だからこそ、レヴューオーディションに乱入してそのまま勝利してしまった華恋には誰にも向けられない苛立ちをぶつけてしまうわけで。何の努力もせず、主役を狙う意欲もまったく見せたことがない彼女が自分に勝ってしまう事自体が許されない。自分はあれだけ努力して、トップの二人に追いつこうとしているのに、なぜ。考えれば考えるほどに理解できなくなってしまう。
こう見ていくと、華恋の存在自体が登場人物の感情を暴き出す舞台装置のようにも思えてくるのですが、それはさておき。そんな純那と華恋が仕切りなおしでレヴューオーディションで対決するのが今回の流れではあるのですが、結果的に純那が勝てなかった理由はそのオーディションへの参加理由がまず大きかったのではないかと思われます。

でもチャンスが来たの
私自身のきらめきで立てるかもしれない
舞台の真ん中 スポットライトの中心
なれるかもしれないの 私がスタァに
〜2話「舞台少女」より台詞抜粋〜


根を詰めすぎて、授業中に倒れた純那が保健室でばななに語るこの台詞。レヴューオーディションを「チャンス」だと認識している。この事こそが彼女の敗因ではないかと思うわけです。努力だけでは追いつけない距離を一気に縮めることが出来る、あわよくば追い抜ける「チャンス」だと思い込んでいる。
しかし、続くレヴューシーンでのキリンはこう語ります。

舞台少女にはそれぞれの個性があり
その中からトップスタァを選ぶためのオーディションです
〜2話「舞台少女」より台詞抜粋〜

純那はトップスタァになるための「チャンス」だと思っているオーディションは、その舞台少女の「個性」によって、トップスタァが選ばれるオーディションであると。ということは、このオーディションは勝ち取ることが主体ではなく、トップスタァになる「個性」を見極めるものだということです。ここですでに純那のボタンの掛け違いが明らかのはいうまでもないでしょう。
つまり純那は自らの個性を顧みずに、トップスタァになれるチャンスがあるという事に縋ってしまったわけです。裏を返せば、普通の手段ではトップスタァになれることは難しいと感じたゆえの判断なのでしょうが、その判断は作品のキャッチフレーズが真っ向から否定しています。

ここでいうあなたの望んだ星、つまり純那のいう所の「自分星」ですが、これもレトリックでトップスタァ=「望んだ星」ではないということなのですね。「自分星」がどこにあるのか、それはなんなのかということは自らを促して進まないと見つけられない。他者にはない「自らの星」。それを掴むためには自分の個性がなんなのかを見つめなければいけない、ということを彼女は理解していなかったことが華恋の負けてしまった理由なのではないか、と思うわけです。
そういった齟齬がある以上、「ひかりと二人で約束の舞台に立つ」という真っ直ぐな思いを持つ華恋に分があるのもまた必然なのでしょう。

一度で終わりなんかじゃない
私たちは何度だって舞台に立てる
〜2話「舞台少女」より台詞抜粋〜

この華恋の台詞もまた純那に対しての「解答」であるのかな、と。追いつけないのであれば、何度でも立ち上がって進むだけ。そのシンプルな思いこそが「自分星」を掴むきっかけなのでしょう。

純那が幼いころに見た舞台(明言はされてないけど「スタァライト」)に触発されて、彼女は「舞台少女」に生まれ変わった。「スタァ」になりたい。そのためには何度でも立ち上がれることこそが、彼女のコンプレックスを解き明かす鍵であり、きらめくための第一歩でもあるのです。

だからこそ前掛けが華恋によって切り落とされるし、彼女のコンプレックスを吸い取って華恋はきらめきを手に入れる。

この今回のおさらいのようなカット。影に隠れた純那を光照らしたのは華恋。コンプレックスの象徴だったろう前掛けを切り落とされて、光に包まれる純那は何か吹っ切れた表情で、暗闇の中から前転して、光の下へ立つ。

そして、また「自分星」を拾い上げて微笑むわけですね。このあたりは非常に計算された演出だと思います。光と影については次の項で手短に話したいと思います。


ここまで来て、純那のエピソードはひとまず締めになるわけですが、舞台版を見てきた人にとっては最後の最後で純那の台詞が衝撃的だったわけです。

純那でいいよ

この台詞、舞台版に繋がる台詞でもあって、アニメ版ではこの2話のラストにいたるまで、華恋が「星見さん」呼びしてたのに気づかされるわけで。先行する舞台版ではずっと「純那ちゃん」呼びだったのがここに繋がるのかという、この話数最大のトピックスがひょいと出てきてしまった。このおかげでいろいろと確定事項が見えた感じもしますが、まだ憶測の域を出ないので、今はここまでとしておきます。ただここで純那が華恋に対して、友情を見せるという描写が入ったのは意表を突かれました。


【光と影に包まれる者たちほか】


いよいよ最後です。今後の展望みたいのも呟いておきましょう。この2話の中だけでも結構人物の動きが細々とあるのでその辺りを紹介できればと思います。その中でも特に注目したいのが光や影を使った対比構図でしょうか。王道といえば王道の構図ですが、その辺りをキャラの読み解きも含めて見ていきましょう。



とはいえ、まずはこれ。ひかりが華恋とまひるの部屋にルームメイトとして入ってきたこと(一度は拒否したにもかかわらず)によって生まれる華恋とまひるの距離感。とても分かり易い。このどんどん離れていく距離が今後のまひるの心境にどう変化を与えていくのかが楽しみですね。まひるについても舞台版に比べるとかなり前向きな性格をしてるので、ネガティヴに振れた時のギャップがどうなるか気になりますね。とまあ、このように端々で描写の積み重ねをしていっているわけですが、特に顕著なのが光と影。
端的に言ってしまうとなにか解決すべきコンプレックスを抱えている登場人物は誰でも影を背負っているのが当作品のマナーみたいなものかと。

これで照らし合わせていくと、校庭のシーンでのひかりは最初から最後までずっと逆光に立ったまま、その表情には光がまったく当たらないでいる。一方華恋は同じ場面をずっと光の当たる中で喋っている、という対比。つまり逆光と順光。基本的に華恋は常に順光に立つ存在なので、逆光(あるいは日陰)に立つ者の感情や思いを暴いていく、というのが物語の定型になっていきそうな予感。

もちろん例外もあって、夜の闇に紛れて搾り出される気持ちや、誰にも言えない(頼れない?)思いなど、光が照らされていない場所でこそ感情が蠢くとでも言いましょうか。非常にベタな表現ですが、積み重ねとしては鉄板といえる手法ですね。で、まあ。この「逆光」に立つ人たち、2話だけ拾っていっても結構いたりしますというか、メインキャラの8割くらいそうなのですが。


一番気になる箇所といえばここでしょうか。地下のレヴューオーディションへ繋がるエレベーター前で対峙するひかりとばなな。ひかりは当然といいますか、先ほどの画像からも分かるように華恋という「光」に対しての「影」なので光が当たらないのはともかく、ばななも逆光で立ちはだかっているという一点だけを取ってみても、「ひかりを探しにいって、偶然見つける」事以上に何か含んだものを感じてしまうのは自分だけでしょうか。まあ、言葉の通り受け取れば、多分転校してきたひかりを知りたいという行為以上のものではないかとは思います。前回の「全部分かっているよ」というのもクラスメートの性格等々を把握しているよ、位のニュアンスで、唯一その情報のないひかりに近づくというのは流れとしては当然なのかなと。だから今回、ダンスの授業でもペアを組もうとしてるわけですし。ただこのばななの行動に裏があるものならば、それはそれで怖いんですけども。逆光に立っているのを考えるといろいろ邪推はしたくなってしまいます。


今回のメインパーソンである純那。彼女は影に位置しているけど、逆光には囚われてはいなくて、アバンの早朝トレーニングのシーンでもただ「光が当たっていない(差していない)」という点では容赦ないなと思う反面、他の人たちに比べると深度が浅いようにも思えたり。というより、彼女の場合は「道は始まったばかり」という方が正しいのかもしれません。
その一方で、「特訓」や「いくらやっても追いつけない距離」という点で彼女と対比になっているキャラがいます。西條クロディーヌです。

彼女の場合、純那の「理解者がだれもいなかった」孤独とは違い、子役でやっていた経験も相まってピックアップした画像のように「人知れず特訓をしていても誰かが見ている」という状況が常に付きまとっている人間です。逆に純那の「誰も見ていなくても、練習に励むしかない」状況に比べてもその差は大きいのですがともあれ、彼女たちを取り巻く中心には学年主席である、天堂真矢が存在しています。

クロディーヌの場合は真矢という「大きな光」によって、彼女自身が影に隠れているということ。なまじ子役としての経験を持っているからこそ、トップスタァの両親を持つ真矢の輝きがいやというほどに分かってしまい、常に意識をしている(せざるを得ない)というのは前回の食堂のシーンでもなんとなく感じ取れるでしょうし、レッスンルームの電気をつけてあげるくらいの真矢の余裕も、彼女にとっては悔しさが滲み出てしまう「優しさ」だと言えます。

舞台版を見ていても、クロディーヌが囚われているのは真矢であり、真矢の「光」に覆われて彼女は「影」に包まれているという構図です。純那と華恋のレヴューオーディションの裏で行われたトップ(?)対決においても、真矢の周りに取り巻く舞台照明の光がクロディーヌを捕らえる大きな檻のように見立てられているのも、彼女が目の前の大きな光によって、自分を見えなくしている事が原因なのだろうと思います。
しかし、彼女の問題についても作中にすでにヒントが出ています。それが以下の台詞。

大事なのは大きな視点を持つことです
自分自身の役を演じるのはこの一番小さな円
大局的な視点から舞台を見ることで
自分の役割をより客観的に捉えることができます
〜2話「舞台少女」より台詞抜粋〜

演技論の授業を行う教師の言葉がまさしく、クロディーヌに当てはまる言葉だったりする。ここの場面でクロディーヌが1カット入っているのは彼女の問題と結びつけるため、だと思うのですが果たしてクロディーヌ自身がそれにいつ気付くのか、その辺りも見ものです。
そして最後に真矢。上のクロディーヌと対峙する画像からも分かるように、彼女もまた「逆光」に立つ者であります。学年主席にある彼女のコンプレックスとは何か。それはおそらく次回3話で明らかになっていくだろうと思いますが、描写としては先んじて、1話、2話ともに提示されていたりもします。

そう。
真矢にとっては、センターポジションつまりは「ポジション・ゼロ」に立つことそのものが影を落としているのです。この辺りは舞台版の挿入歌である「私たちの居る理由」でも提示されていますが、親がトップスタァであるならトップに立つことが当然であると言う、半ば義務のような宿命が背負わされている、ということが歌われています。
【ネタバレ】「私たちの居る理由」歌詞読解〜少女☆歌劇レヴュースタァライト〜 - In Jazz
おそらく3話ではその辺りの背景がそれとなく語られるのでしょうが、真矢においては「トップであること」が逆光を浴びる要因であることは明らかでしょう。

トップスタァ、それは運命の舞台に立つもの
無限のきらめきを放ち
時を超えて輝き続ける
永遠の主役
〜2話「舞台少女」より台詞抜粋〜

今回、キリンが語った「トップスタァ」についての意味深な発言。注目すべきところは「運命」「時を越えて」という部分でしょうか。この文面だけ捉えれば、常に「輝き続けなければならない」事は明白であり、さらには「永遠の主役」でいなければならないというところも目を引きます。真矢にとってみれば、「トップ」の位置であり続けることが負い目でしかないことを考えると、この「トップスタァ」のくだりには当てはまらないようにも思えますが、さて。
では、誰が「トップスタァ」になるのか?
もう分かりきった答えしかなさそうですが、今回の感想はここまでにして次回へと進みたいと思います。

次回に続く
前回に戻る

※なお本感想はあくまで個人の印象によるものです、悪しからず。


少女☆歌劇 レヴュースタァライト Blu-ray BOX1

少女☆歌劇 レヴュースタァライト Blu-ray BOX1