In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)

ジャンル不問で好きなものを最小単位で語るブログ

音楽鑑賞履歴(2018年11月) No.1279〜1286

月一恒例の音楽鑑賞履歴。

8枚。
今月からようやく2016年購入分に突入です。いやあ、長かった。
とりあえずDavid Bowie「★」の感想がかつてなく長くなってますが、いろいろあった年なので文量も増えた感じです。
気づけば今年も一ヶ月を切りました。今年もなんだかんだありますが、暮れが近づくと思うことも様々です。
とりあえずやらなければいけないことを処理しつつ、新しい年を迎えられればいいなと。
というわけで以下より感想です。


Bongo Fury

Bongo Fury

・75年発表20th(通算)。ザッパが学生時代よりの親友であるキャプテン・ビーフハートと共演した唯一のアルバム。基本的にビーフハートマザーズのライヴに参加した時の音源で、テリー・ボジオがザッパのアルバムに参加した最初の一枚でもある。内容は下世話な泥臭さと理知的な構成が入り混じっている
この盤を聞くだけでも、ザッパとビーフハートが同じ方向性を見ているようでまったく別方向の方法論で音楽をやっているということがなんとなく察せられ、お互いの仲がどうであれ、資質的には水と油なのは見て取れる。ザッパは理論的であるし、ビーフハートは感性が勝っている。
あくまでビーフハートがザッパのライヴで客演してる体裁なので、がっぷり四つで火花を散らしているわけではないので注意が必要だが、アクの強い両者の個性が絡み合っており、アルバムとしては他とは異なった独特さもある作品だ。全盛期ともいえる70年代中期のマザーズからの移行期でもあるの含めて。
本作はザッパ作品の中でもきわめてアーシーな作品でもある。73年の「オーヴァーナイト・センセーション」から本作に至るまでは、高度なアンサンブルと楽曲の密度の濃さの一方、土埃っぽい垢抜けないサウンドなのだが、その土臭さが特に濃厚なのだ。ぬかるんだ泥のような粘っこい演奏が聴けるのは珍しい
ビーフハートの影響があるのかは定かではないが、その雰囲気に呑まれて、楽曲もスマートというよりはなにかのた打ち回った印象が強く、ザッパ特有のスマートさが陰に隠れているようにも感じられるか。しかし聞けば、間違いなくザッパサウンドなのは確か。そういう点ではアクがさらに強くなった一枚かと。

★(ブラックスター)

★(ブラックスター)

16年発表28thにして遺作。自身の誕生日(1/8)にリリース、その二日後の1/10に亡くなるというニュースは世界に衝撃を与えた。この突然の訃報によって、さまざまな議論や賛否が渦巻き、このアルバムは死というバイアスのかかった過大評価であるという向きもあったが、改めて聞くとその像が見えてくる。もちろんこれはボウイが全世界へと向けた「遺言状」、あるいはスワンソングであることは疑いようもないし、ボウイはデヴィッド・ロバート・ヘイウッド・ジョーンズではなく、デヴィッド・ボウイとしての最期をこれ以上にない形で表現したのはいうまでもないが、あえてそこから一歩引いて考えたい。作品の内容はジャズバンドのマリア・シュナイダー・オーケストラのメンバーが多数参加したジャズ要素の強い作品という触れ込みであるが、プロデューサーのトニー・ヴィスコンティによれば、ケンドリック・ラマー、ボーズ・オブ・カナダ、デス・グリップスなどに影響を受けたものであるという。実際聞いてみるとわかるように、このアルバムは少なくとも「ロックアルバム」ではない。ヒップホップも入っているし、テクノもあれば、演奏陣の出自でもあるジャズも感じる。ヴィスコンティの語った影響先から考えると、これらが統合されたものが本作であると感じる。結果的にではあるが、本作でヒップホップとテクノを繋げたのはロックではなく、ジャズなのだ。いや、ロックもいわゆる新世紀ジャズとして市民権を得る、新しい形のジャズに内包されてしまっていると言い切ってしまってもいいだろう。ことこのアルバムにおいてはロックはまったく主体ではないのだ。
10分近くに及ぶ1曲目だけを聞いても、ビートの感覚、メロディの展開は少なくともロックの格式ばったものとは異なり、非常に自由かつ開放的だ。サビがありギターソロがあり、のようなものではなく、ボーカルと演奏が個々に独立していながらも呼応しており、なにかしらの塊として形作られている。生音と電子音のビートがユニゾンしたり、ギターやサックスなどがアドリヴのように曲空間に旋律を漂わせ、ボウイのボーカルも呼応するように変幻自在に乗っかっていく。もちろん歌詞の内容を見ていくと、迫り来る死に直面したボウイの内面を感じるがそれすらも音楽に導かれて出てきたものにすら思える。アルバム全体を聞いていくと、ジョン・フォードの演劇へのオマージュや、ゲイの間で使われた話法ポラーリ、「時計じかけのオレンジ」で使われた人工語ナッドサットなどの引用も本作の演奏とまったく等価に扱われており、その全てが有機的につながっている。まるで細胞が入れ替わるように。ボウイの歌唱もバンドの演奏もインプロヴィゼーションでもあり、めまぐるしく変化していく。ともすれば節操もない印象も受けるが、死が生を解き放っていくかの様にありとあらゆるものを呑み込んで収束していく様はマイルスの「ビッチェズ・ブリュー」で繰り広げられるパッションの逆流を見る思いだ。
そういった自由闊達さは非常にジャズ的であり、ボウイが根ざしてきたロックミュージックもその中のひとつに組み込まれていく。拡散から収斂へ。このアルバムの表現しているのはそういうものであると思う。だからこそ、I Can't Give Everything Awayと結ばれていく、そのプロセスが非常に美しくある。ロックスターからブラックスターへ。そして黒き星は次なるビッグバンに向けて眠る。だからこそ、今、最も生命的な現代のジャズに寄り添っていったのではないかと思う。完全に勝手な憶測ではあるが、最後の最後に「種」を残していった、んだろうと。今改めて聞くと、その音楽的な自由さに驚くばかりだ。自由とは創造性と置き換えてもいいかもしれない。このボウイの置き土産はそういう可能性を残しながらも、ひとまず「葬った」一枚でもあると思う。だからこれはロックアルバムではなく今最も自由に満ち溢れた「現代ジャズ」の一枚として聞いた方がすんなりと聞ける様な気がする。
ボウイの求めていた音楽や表現も本来はそういうものだったんだろうと、おこがましくも思うわけだが、ボウイが末期に表現した音楽がジャズであることはやっぱり皮肉的でもあるし、時代は変わったのだ。しかし、ボウイは最期までボウイだった。それでいいのだと思う。立つ鳥跡を濁さず。R.I.P.

META

META

16年発表1st。現状唯一作か。14年1月に「テクノリサイタル」と称して高橋幸宏がライヴを行った際のスペシャルバンドがそのままグループとして発展して製作されたアルバムがこちら。Leo今井砂原良徳テイ・トウワ、ゴンドウトモヒコ、小山田圭吾高橋幸宏といった錚々たる面子のスーパーバンド。
内容としては10年代型のテクノポップといっても過言ではないもので、YMOのオリジナルメンバーである高橋幸宏とそのYMOチルドレンたるミュージシャンの競演であり、高橋幸宏らしいウェットなメロディが全体を貫く中で、現代のテクスチャーを纏ったエレクトロサウンドがポップに響き渡る。
メンバーがそれぞれの特色を生かしつつ、楽曲によって入れ替わり立ち替わり、Voすらも替わって行く中で不思議と統一感があるのはなんというか、ディレクションが際立っているという印象を持つか。メンバーの砂原良徳自らがマスタリングを手掛けているのもあり、全体にグループの意図が行き届いた良作だ

curve of the earth

curve of the earth

16年発表5th。前作から4年ぶりの新作。故スティーブ・ジョブズがスピーチで内容を引用したことでも知られる『全地球カタログ』の監修者、スチュワート・ブランドの思想にインスピレーションを受けた作品。堅実かつ地に足についた佳作であった前作からスケールアップした印象を受ける。
前作のアーシーさを引き継ぎつつ、サウンドスケープの景色をタイトルのとおり、地球を俯瞰するような視点で捉えており、テンポはミドルが主体ながら、バントの持ち味であるサイケ感と宇宙的な浮遊感が重なって、果てしなく広がる空間を遊泳する心地になる。しかしそれが野放図にならないのがスゴい。
前作までに培った滋味あるメロディに一音一音に重みを感じ、自由に浮遊しているようで、軸足はきっちりと地球に根差している。指針がはっきりとした内容・演奏だからこそ、壮大なサウンドもバンドとして自然な変化に感じられるか。過去の経験の研鑽と積み重ねが結実した、最高傑作といっていい名盤だ。

ボールルーム

ボールルーム

14年発表6th。時代の流行に乗ってか、彼らなりのエレクトロポップスを志向したアルバム。音の感触は3rdに近いが、そちらはヒップホップ色もあり、比較的サウンドがソリッドだったが本作は80s前半オマージュが色濃い、滑らかでソフトなメロディーが際立つ作品。レトロモダンという点でも今風な印象。
しかし、元来のポップマニアな一面が功を奏して、かつてのエレポップが60年代のポップスやR&Bを下敷きに置いたように、過去から現在に至るまでの膨大なデータベースによる練り込まれたメロディを、カドの取れたシンセサウンドで鳴り響かせている。そこに卓越したセンスを垣間見る作り。
シンセの温かみのある音、というと語弊はあるがシンセ音にグルーヴを求める昨今の流れとは一線を画しており、オマージュにオマージュを重ねたウェットなメロディラインをシンセで奏でる心地よさに比重が置かれてる点にポップマエストロたる矜持を感じる一枚。聞けば聞くほどじわじわ染み渡る好盤だ。

adore life

adore life

16年発表2nd。現代ポストパンクガールズバンドの第二撃。ライヴツアーで鍛えたらしい、持ち味の骨太さには拍車がかかった印象。金属質なギターとよりソリッドになったリズムにはメンバーの確信に満ちたアディテュードを感じ、心強くもある。過度な派手さよりも、真に迫ろうとする求道的な趣も強い。
ストパンクと称してはいるが、本作はバンドサウンド以外のキーボードの演奏やゴシックロックやガレージ、メタル(ハードロック?)に接近した楽曲もあり存外、バリエーションにも富んだ作りが目を引く。反面、バンドの演奏が単調なせいか、その主体の演奏よりも、オブリガードに面白い響きを感じた。
この点ではけっこうサウンド等々、バンドそのものが柔軟になったとも考えられて、興味深いが同時にひとつのスタイルにこだわり続ける事も、ことロックという分野においてはかなり困難が伴ってしまうのは時代の流れゆえか。飛躍作だが、まだまだ余白があるはず。今後に期待を持ちたい。

創世記

創世記

83年発表12th。二匹目のどじょう狙いというべきか、Prophet 5の分厚いシンセサウンドによるエレクトリックブギーとアースらしいコズミックなディスコブギーとのギリギリの臨界点を見極めた一作。なかなかキワドいバランスで成り立っている印象で、一歩間違えば踏み外していた事も容易に想像できる作り
いずれにせよ、前作の成功再びという面は否めないが楽曲の質は非常に安定しており、サウンドプロダクション的には今、再評価されてもいい内容にもなっている。ホーンズを効果的に使う曲がある一方で、シンセ主体になっている楽曲もあり、方向性を模索していた、ということも見て取れる。
ただそれ以前に、バンド自体のキレと勢いが鈍りつつあるのも感じられるか。一定以上に仕上がっているのは確かなのだが、演奏も非常に「手慣れた」雰囲気でクリエイトするという面では減退している事は否めない。佳作ではあるが、最前線から足が遠のきつつある事も感じてしまう、翳りのある一枚か。

ゲット・アウト・オブ・マイ・ヤード

ゲット・アウト・オブ・マイ・ヤード

06年発表6th。意外にもソロキャリアでは初のギターインストアルバム。今まで本人のソロアーティストとしての拘りが、全編インストを頑なに拒否してたという趣旨がライナーにも書かれているが、内容も彼のソロキャリアを反映したようなもので、過度のテクニカル指向には陥っていない。
もちろんギタープレイヤーとしては確固たる実力の持ち主であるのは疑いようも無く、曲によってはテクニカルな趣向を凝らした演奏もしている一方で、彼のポップ志向やルーツのブルース、クラシックなどのエッセンスも抽出されていて、過去のソロ作の作風をインストに落とし込んでいる印象が強く残る。
重低音のへヴィさを押し出すよりかは、カラっとしたハイノートのギターフレーズをポップに響かせることを信条としているプレイヤーと言う印象もあってか、ファンク調の楽曲も重くならずに聴けるのが面白い。ソロとしての彼の魅力はインストアルバムでも変わりないことが確認できる作品。