In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)

ジャンル不問で好きなものを最小単位で語るブログ

家族のカタチ〜サザエさんから輪るピングドラムにいたる系譜

【始めに】

2011年夏期アニメも始まって、色々と評判が聞こえてきてますね。
個人的には幾原邦彦監督12年ぶりの作品である「輪るピングドラム」に注目してます。
待ちに待ってました! って人も多いでしょう。なんていったって劇場版ウテナ以来ですしね。
で、やっぱり蓋を開けてみると、案の定、先が全く読めなくて。
これからどうなるの? という期待ばかりが募りますねえ。
さて。
今回は輪るピングドラムを見て、今まで暖めてきた事が繋がったのでそれを記事にしてみようかなあと。
タイトルにもあるように「家族のカタチ」について語っていきたいと思います。
サザエさん輪るピングドラムがどう繋がるの?
というのは、記事を読んでみてのお楽しみという事で。
系譜という事なのでサザエさん以外の作品も出しますのでご覧いただければと思います。
では、始めていきましょうか。


【とりあえず年代別に】
これから語ることはごく簡単な事です。
「家族のカタチ」といいましたがその通りの内容に辿っていきます。
アニメ、漫画などの「家族のカタチ」というのを時代別にその変遷を見ていきたいと思います。
ごく身近な存在である「家族」がどのように変わっていったのか。
それらにどのような意味や繋がりがあるのか、といったところを見ていこうと。
とはいえ、輪るピングドラムについて記事ですから、最終的には輪るピングドラムの話になればいいなあと考えてます。

では「家族」というのを考える上で取り上げる作品を紹介していきましょうか。
「家族」、ひいては「家族にまつわる日常」を描いた作品ということで
サザエさん

アニメ サザエさん公式大図鑑 サザエでございま?す!

アニメ サザエさん公式大図鑑 サザエでございま?す!

ちびまる子ちゃん
ちびまる子ちゃん 1 (りぼんマスコットコミックス)

ちびまる子ちゃん 1 (りぼんマスコットコミックス)

クレヨンしんちゃんよつばと!
よつばと! (1) (電撃コミックス)

よつばと! (1) (電撃コミックス)

の4作品と取り上げてみる事にします。
どれも大ヒットタイトル、よつばと!以外はアニメ化、もしく長期シリーズ化している作品ですね。
ドラえもん」を始めとする藤子不二雄作品も「家族」が良く出てくる作品ですが、今回の説明の流れを考えると、
ちょっと外れてしまうので今回は除外しておきましょう。
とはいえ、ピングドラムの「非日常」と藤子作品の「日常の中の非日常」というのは少なからずリンクはしてるはずなので、
一考の価値はあるのかなあとは思ってますが、それはまた別のお話。
この諸作品は「家族」ということを考えた上で、時代的に推移していっているんですよね。
だいたい20〜25年くらいのスパンで。


サザエさん終戦〜1970年代前半
ちびまるこちゃん:1970年代〜80年代
クレヨンしんちゃん:1980年代〜90年代
よつばと!:00年代〜現在



あくまで筆者のイメージなので間違っていたら申し訳ないですが。
家族の有り様が時系列順になっているんだと思っていただければ結構です。
時代的な流れで「家族の在り方」が変化していっているわけです。
こうして見ると藤子作品は日常がある上で非日常を展開をしていっているものが多いので、
家族が主になっているわけではないことが分かるかと思います。
今回の記事の趣旨が「家族のカタチ」であることからも趣旨とは少しずれてしまうので悪しからずというところです。
では次項から作品別に家族構成を見てゆきましょう。


【大家族としてのサザエさん

いまや国民的アニメとなっているサザエさん
その家族構成は今さら説明するほどでもないです。
磯野家とフグ田家。
大きく分けると1つの家庭に2つの家庭が入っているのは皆さんご周知の通り。
一応、内訳を書くとこうなります。


《磯野家》父:波平、母:フネ、長女:サザエ、長男:カツオ、次女:ワカメ
《フグ田家》父:マスオ、母:サザエ、長男:タラオ


長女サザエの家庭がそのまま、磯野家と一緒に住んでいるという家庭。
原作漫画だとタイコと結婚する以前のノリスケが居候でいる時期もありましたから、
大人数が住んでいるのはお分かりになるかと思います。
長女夫婦を含む計7人の家庭というのは微妙に人数の多い家庭ですよね。
現在だと地方の家庭に多い家族構成のようにも感じます。
けど、サザエさん一家の住んでいる所は東京(あさひが丘という架空の地名ですけども)。
東京という土地柄を考えると、結構大家族の部類なんじゃなかろうかなあと。


さて、サザエさん一家の家族構成は「昔ながらの日本の家族」というのがポイント。
波平を家長とした非常にステロタイプな家族でもありますね。
絶対的な父親(かつ心優しい祖父)が君臨していて、大黒柱になっている。
家族というのをイメージした時に頭に浮かんでくるような家族構成だと思います。
大黒柱の父親がいて、それを支える内助の功の母親がいる。
子供たちは元気に育ち、一番上の子供は結婚して孫がいる。
一種の理想的な家族ですよね。
サザエさん一家はそんな家族という強固な枠組みがあって、その中で日常を面白おかしく暮らすわけです。
ここでの家族というのは揺らぎが無い、確固たるモノです。
何しろ、波平が一家を支えるために奮闘しているわけですし、サザエさんの夫であるマスオさんもそれは同じ。
一見すると、ちゃんと父性が機能している昔ながらの一般家庭であるのがサザエさん一家。
この働く父親像というのは戦後日本の高度成長期を支えた勤勉な日本人像の表れでもあるかと思います。
波平もマスオさんも紳士で礼儀正しいというのも目を見張る所でしょうね。
フネやサザエさんは典型的な専業主婦なのもまた注目しておく所ではあるでしょう。
どちらにしても両親がともに礼儀正しいところがサザエさん一家の特徴でもありますね。
サザエさんはちょっとおっちょこちょいですが。
父が働き、母が家庭を支えるといういわゆる昔ながらの家族のカタチサザエさん一家ということになります。
あと1つの家庭に2家族という構成も覚えて置いていただければと思います。


ちびまる子ちゃんの家庭像】


次はちびまる子ちゃんの家庭。
こちらは二世代住宅。祖父母の友蔵夫婦と息子のひろし一家という構成です。
品行方正なサザエさん一家との大きな差はその描かれ方の下世話さ加減にありますかね。
ギャグ色が強いとはいえ、まる子(≒作者)の視点から描かれた両親、あるいは大人の描かれ方が容赦ない(笑)
特に父親であるひろしなどはだらしがないというのを地で行く人間なのがまた。
そのだらしなさを助長してるのがひろしが仕事に行く姿、している姿を全く描いていない点。
まる子が帰ってくるといっつも家にいて晩酌している。
それでいて、妻であり、まる子の母親であるすみれに怒られてばかりいる恐妻家でもあると。
その様子をいつも見ているまる子にはやれやれと言われる始末。
同じく母であるすみれもまる子にツッコまれる場面が幾度となくありますよね(で、その度にまる子が怒られる)
祖父の友蔵は心優しいおじいさんだけど、労働という社会の前線から一線を退いて、老後を過ごしてる。


サザエさん」がサザエさん一家の生活を眺める作品な一方、
ちびまる子ちゃん」はまる子を視点人物にした家族のお話なんですよね。
だからより内側から家族を描いていると言えます。
その事によって、家族の短所が余計に目立っている印象。
人の不幸を笑うというわけじゃないですが、人のある欠点が面白く見えてしまうということは確かで。
それをまる子っていう子供(妙に大人びた考えをする時もありますが)の視点から見ている構造。
だからちびまる子ちゃんの家族像というのはまる子自身が見た家族であるんです。
家族の中に視点人物を置いているわけですから、視聴者はその人物の視点に立って見るわけですね。
確かにまる子にとってみれば、両親や姉、祖父母などは家族内の位置関係としては上の存在です。
けど彼らの生活を見ていると、家庭内の力関係以前に一つの家庭に住む家族というわけです。
それぞれに長所短所はありますし、時にまる子がツッコんだり、怒られたりもしますがあくまで家庭内のお話。
ここでも家庭という枠組みが家族の強い証として描かれています。
ただ「サザエさん」の波平と比べると、家長のひろしは家庭の絶対的存在という風には見えない。
というのは、まる子の視点でエラい父親というよりは親近感のある父親であるからなんでしょうね。
同様に母親のすみれもそういった点で親近感のある母親。
怒ったり叱りもするけど、基本的に子を思う親なんですよね。
ただまる子の視点で長所短所が明らかになってるせいで、
見ている側にとってはその短所で笑ったりもしちゃう人間臭さがありますね。
サザエさん一家がが理想形の家族だとするとまる子一家はより人間臭い家族ということになりそう。
あと舞台が静岡県清水市という地方都市というの見ておきましょう。
都市部よりは人との繋がりにわりと重きを置く地方での話というのもまる子一家の人間臭さを強めていそうです。


【複合型のクレヨンしんちゃん一家


まず最初に一つお断りを。
 誠に申し訳ないのですが、筆者のクレヨンしんちゃんの視聴履歴は
 劇場版の「オトナ帝国の逆襲」と「アッパレ戦国大合戦」の二本だけです。
 TV版を必ず見てきたわけではないことを申し上げておきます。
 その為、本来のイメージとは違う説明をしてしまうかもしれません。
 ある程度はキャラの特徴等は把握しているつもりではありますが、
 もし間違っていたら、それは筆者の認識誤りですので悪しからず。
 それを踏まえた上でご覧ください。


サザエさんちびまる子ちゃんと見てきました。
ではクレヨンしんちゃんの家庭はどうでしょうか。
彼らは埼玉県の春日部に住む、核家族です。
ひろし、みさえ、しんのすけ、ひまわり(と犬のシロ)の野原家は4人家族。
上記の2作品にいた、祖父母が一緒に住んでいない事が重要ですね。
野原家はいわゆる都市型の核家族です。
祖父母がそれぞれ両親の実家に住んでいるパターン。
つまり実家とは別に住居を構えているのが野原家ですね。
ひろしもみさえも、親から独立して一人暮らしをしながら、出会い結ばれて、子供が生まれて、マイホームを持った。
そして野原家という「家族」が出来た。
そのようなシークエンスが「オトナ帝国」にあったと思いますが、大人はかつての子供時代には戻れない。
なぜかというとそこには妻あるいは夫、そしてその間には子供がいる。
切っても切り離せない「家族」という絆があるわけです。
一個の群れとして、支え支えられる関係。
ここら辺はサザエさんちびまる子ちゃんの一家も同じだと思います。
ただ野原家については家族の最小単位である核家族です。
(何らかの原因で片親しかいない等は特殊なケースだと思いますが、そういうタイプであるよつばと!については後ほど)
サザエさんのように一家庭二家族でもなく、
ちびまる子ちゃんのように二世代家庭でもなく、
これ以上、割ることの出来ない一個の家族が野原家であると。
そういった点では現代的な家族でもあるんですよね。
親がいて子がいてという親子関係だけがクローズアップされるのも特徴。
けれどクレヨンしんちゃんはあくまで野原しんのすけが視点人物かつトリックスターである作品ですから、
その限りではない所がミソです。
つまりサザエさんのような理想的な家族スタイル
ちびまる子ちゃんのような家族の内面をえぐるギャグが混在してるんですよね。
いわゆる現代的な理想の家族形態なんだけど、
しんのすけが動く事で家族の内面もあぶりだしているって言う作りになってる。
ひろしは働きに出るサラリーマンで家では少し頼りないけど、やるときはやる父親だし、
みさえも主婦ではあるけど、免許も持ってたり、口うるさかったりだらしない時があるけどやっぱり母親なんですよね。
そこがまた親近感を出しているようにも思います。
野原家というのは都市部に存在する、どこにでもいるような家族です。
たった4人の小さな家族だけど、その中にも強い繋がりがある。
普段は見えるようで見えない絆だけど、確かに存在する絆。
それが家族という関係であることを野原家は見せているような気がします。


ここまで三家族を見てきました。
時代を経るにつれて「家族」というキーワードが色濃く表に出てきている印象を、
なんとなく感じ取っていただけたら幸いです。
磯野家は家族の理想を。
さくら家は家族の現実を。
野原家はその二つを踏まえた上で家族の普遍性を。
それぞれその作品の中で提示しているんだと思います。
ここまで話してきた「家族」を語るというアプローチでは野原家が一種の到達点なんだろうと思います。
家族という形を最小単位で語ったという点においては、です。
だからこれ以上、「家族」については語りようが無いはずでした。
が。
そこを突破してしまった作品があります。


【家族を「解体」してしまった小岩井家-よつばと!の家族=コミュニティ-】


さてよつばと!です。
小岩井よつばの面白くも楽しき日常を描く作品ですが、家族構成はかなり特殊な部類。
小岩井家の家族はたった2人です。
小岩井よつばととーちゃん(そういえば下の名前が出てきてませんね)。
もはや核家族のように、両親が常に存在しているわけでもなくなってしまった。
親一人に子一人。
さらに特異なのはこの2人、血縁関係すら繋がっているかどうかも怪しいという点です。
作中でもいまだ明言されておらず、とーちゃん曰く「(よつばは)ひろった」発言まで飛び出している始末。
この事実は凄い事だと思います。
なにせ、親子ですらない(可能性がある)2人が家族として成立してしまっているわけですから。
しかもそれ(設定)を許容できてしまっているという事実も十分驚くべき事ではあるのですが。
これだけでも今まで話してきた「家族」と違う事はお分かりになるかと思います。
先ほどまで語ってきた家族関係というのを「解体」しまったのがこのよつばと!の小岩井家なのです。
ここまで来ると、大人と子供という「群れ」の最小単位です(パターンはいくつかあると思いますが)。
養う大人と養われる子供。
何か事情があって片親しかいないといわけでもなく、徹底して無意味に共生している親子関係なんですよね。
そこら辺はシュールといっていいかもしれません。
よつばがいるからとーちゃんはとーちゃん(親)の関係にあるということなんです。
逆も然りです。
そこに意味を持たせていないし、持っちゃいけない形に作品が構成されている。
家族の繋がりがあるようでなくて、ないようである。
そういう奇妙な繋がりが小岩井家なのです。
むしろそういった明確な家族関係が存在するのは小岩井家のお隣さんである綾瀬家なのです。
よつばはそんな綾瀬家に良く遊びに行きますよね。わりと何の躊躇も無く。
そこが結構重要だったりします。
小岩井家は前述したとおり、「群れ」としては最小の「群れ」です。
ゆえにその最小の群れにおける関係性というのは極めて自由度の高いものになっています。
とはいえとーちゃんはれっきとした成人ですから、社会や他人との付き合い方をわきまえているはずです。
けど、よつばにはそれが全くない。
子供であるが故の自重のなさ。
悪気は無いんですよね、子供だから許されるというか。
よつば(小さい子ども)のやることだからとみんな許容してくれる。
周りがよつばという存在を子供であると認知している為、あたかも親や兄弟のようなまなざしで見ているわけなのです。
つまり「家族」という垣根を取っ払ってしまった結果、小岩井家は他人との繋がりが極めて家族的なのです。
江戸時代の長屋的というか、彼らの生活するコミュニティ=家族なんですよね。
だから綾瀬家の人々もジャンボもやんだも虎子もみうらもしまうーもダンボーも全員、
よつばの家族とみなす事が可能なわけです。
家族=コミュニティなので他人と家族の境目が当然無くて、
よつばの行動範囲が広がるにつれて、コミュニティは拡大するというわけです。
いつかの単行本の帯で「世界が、ひろがる」というコピーが確かあったと思います。
よつばが自転車を手に入れたことがそのコピーになった一因でもあるはずですが、
考えてみれば今説明した事も含んでそうですよね。
磯野家もさくら家も野原家も「家族」という枠組みと「社会」という枠組みの境目があって、
「家族」が「社会」の中に生きていくという構造だったのが、
よつばと!の世界においてはコペルニクス的転回が起こっているわけです。
「家族」=「社会」であり、そこに境目は無く人々が生きているという空間。
ここら辺は野原家より極めて現代的。
いわばインターネット世界の境目の無さを現実の社会に当てはめているという点が、
よつばと!の鋭い所なんじゃないかなあと。
家族の枠組みがなくなったら、世界はみんな家族でした。
という現実ではいまだ成し遂げられていない理想(実現するにしても相当な時間を要するもの)を、
よつばと!は見せているとも言えそうです。
フィクションとはいえ、この落とし込み方は凄いと思いますね。
いや、フィクションだからこそかもしれません。
だから個人的にはアニメで見たいというのがすごくありますが、実現は難しいだろうなあ。
言ってみれば「世界」のお話ですしね。


【で、これらを踏まえて輪るピングドラムの家族を語ってみよう】

輪るピングドラム 1(期間限定版) [Blu-ray]

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輪るピングドラム 上

輪るピングドラム 上

やっとここまで来ました。
最後は現在絶賛放送中のアニメ「輪るピングドラム」の家族について話していこうと思います。
記事は3話までが放送された段階で書かれています。


まずは公式サイトのリンクを張っておきましょう。
輪るピングドラム

それとこの記事を描く発端になった自分の第一話感想まとめのリンクも。
ライスのアニメ感想:#85 輪るピングドラム(1) - Togetter

輪るピングドラム」における家族とはもちろん主人公たち、高倉家の面々です。
高倉冠葉
高倉晶馬
高倉陽毬
この三兄妹が物語の中心。
そしてこの三人が高倉家を構成しています

ここへ載せた画像は彼らの家の表札です。
ご覧の通り、ガムテープで覆われている部分がありますね。
もうお分かりかと思いますが、高倉家には両親がいません。
事故やその他の原因でで亡くなってしまっているのかは今のところ定かではありませんが、
二人の兄は陽毬に親の事を詮索されるのを恐れている節がありました。
1話での会話では陽毬の将来を見届けてやる事が自分たちの「罰」だとも言っています。
これらの点が何を意味をするかは今後の展開で明らかになっていく事でしょうが、今は家族について語りましょう。
説明したとおり、高倉家は両親のいない家庭、しいては「大人」の存在しない家庭だといえます。
今まで語ってきた家族には全て「大人」が存在していました。
ここでの「大人」というのは家族内において「社会」の窓口でもあります。
社会の常識や慣習などは、一番直近の「大人」である「親」から習うはずです。
そういった点からも「両親という大人」は子供が「社会との接点」を得るファクターと言えるでしょう。
しかし、その両親が高倉家にはいません。
いつからいないのかは作中で明らかになっていませんが、見ている限りだと大分長い期間いないようですね。
無論その間、お世話になっている親族あるいは知り合いがいるようですが。
いずれにしろ、その人たちは家族ではありません。
以上のことからも、高倉家が擬似家族である事は疑いの余地は無いでしょう。
双子の兄である、冠葉と晶馬が末の妹である陽毬の世話をしている。
美しき兄弟愛とも言えそうですが、その実、双子の兄たちが両親の代わりをしている事は間違いないわけで。
彼らは知らず知らずのうちに家族の真似事をしている、してきたと言えそうです。
たださっきも言ったようにそれがどういう「罰」なのかは現段階では分かりませんのでなんとも言えません。
親が存在しない事で、社会から断絶してしまっている家族、それが高倉家なのです。
高倉家の取り巻く状況はよつばと!の小岩井家とは全くの逆パターンです。
家族の枠組みを意識するからこそ、社会から断絶しているわけです。
もしかしたらそれが彼らの「罰」なのかもしれませんね。
「社会」と繋がっていないから、他者との係わり合いも少ない。
ゆえに家族に固執する、ということなのかもしれない。
兄達が揃ってシスコンなのは社会との繋がらない自分の傷を舐め合っているだけな気もするなあ。
社会=家族ではなく、社会≠家族で繋がりを持とうとしていない所が彼らの問題点でもあるのでしょう。
だから3話の終盤で「他者」である荻野目苹果が高倉家にやってくるわけですよね。
高倉家が社会的関係を繋ぐ者として、さらには似たもの同士という意味合いも含めて。
けれどまあ。
こういった家族の問題というのは作中において、ただの一要素でしかなさそうな気もします。
今後もっと大きなうねりが高倉兄妹たちに待ち構えていそうですしね。
そこら辺は期待しています。
高倉家が社会性の欠如したいびつな家族であることがどう作品関わってくるのか、
注目していきたいと思います。


【最後に】
以上、「家族のカタチ」でサザエさんから輪るピングドラムまでを見てきました。
なんとかまとめることが出来たなという思いです。
サザエさん「日本の家族像」と言う所から始まり、
ちびまる子ちゃん「家族の現実」を見せ、
クレヨンしんちゃん「普遍的な家族の姿」に至り、
未来型の家族像としてよつばと!の「常にアップデート(拡大)しつづける家族」を提示した上で
輪るピングドラムが「極めて関係の希薄になった(ゆえに家族の絆を守ろうとして閉じこもる)現代の家族」という、
問題提起までを行っている一連の流れを理解いただけたらと思います。
輪るピングドラムの高倉家と言う家族が今後どう社会と繋がっていくのか。
蓋を開けてみるまで分かりませんが、そこは「ウテナ」を作った幾原監督です。
きっと乗り越えてくれるはず。
いや、むしろその先を期待してしまいますね。
それだけ楽しみにしています。
論の進め方が強引だったかもしれませんが、一切の文責は筆者にあるということでご容赦いただければと思います。
長々と語ってきましたが、ここまで読んでいただいた方に感謝申し上げて、この記事を締めるとしましょう。
ありがとうございました。