今回は手短なお話、にしたい。
今年の春季新作アニメも出揃ってきていますね。
正直、個人的には今期は興味の湧くものがほとんどないので気楽といえば気楽なのですが。
原作付き作品も盛況です。
昨今、なにかと漫画に限らずラノベや小説のアニメ化作品においては
原作が「聖典」化してしまい、原作ファンが「原理主義者」となってしまう場合も多々あります。
考え方は色々あると思います。
自分は原作を一次作品とするならば、その他の媒体で作られる物は全て二次作品と捉えてます。
決してそれぞれを貶める意味合いではなくて、別々に楽しみましょうってスタンスです。
だって、各媒体化される際に製作に関わる人数が間違いなく一次作品より多いわけですよ?
個人レベルの同人誌ならいざ知らず、メディアミックスという「商業」に乗る際は、
多方面に売れることや作品が周知されることが第一義です。
少なくとも売る側はその作品を売り(出し)たいのだから、そもそもそれまでのファンの声は二の次でしょう。
(もちろんファンの声もある程度の重きを置くべきだと思いますが)
だからまあ「おれ(わたし)だけのもの」から「みんなのもの」になるわけで、
いわゆるメディアミックス化の際に発生する批判はそのファン心理の摩擦に端を発するものかなと思ってます。
おっと、話が逸れました。
今回の記事は何が言いたいかって言うと、「作品にも映像化するには向き不向きがあるよね」ってお話です。
そもそも原作そのものに質量がありすぎると大変だよねっていうことです。
この場合の質量ってのはなんと言いますか。
「密度」って、言い換えてもいいと思います。
絵的な密度、物語的な密度、キャラや設定の密度、作品によって異なるだろうし色々あります。
この密度が一つでも突出していると、やはりメディアミックスには大変な労力がかかると思うのですよ。
あの作品やこの作品が、って言うつもりもありませんが。
やはり媒体が違うから作品の良さも異なってくるわけです。
その媒体ならではの「密度の濃さ」を映像化の際に求めてしまうのがファン心理だと思うのですが、
考えてみれば、無茶苦茶な要求じゃないかなと。
ファンが求めているものが「原作の完全再現」であるならば、基本的に映像化作品の評価は減点方式ですよね。
100点満点は少なくともないわけですよ。
100点の状態=原作なわけですから。
一次が二次に勝つという図式は矛盾してますね。
またちょっと話がずれてきた。
話を戻すと、
各媒体の「良さ」があるのだから、なにも同じ味を別媒体に求めなくてもいいんじゃないってことです。
アニメ「寄生獣〜セイの格率〜」を考える。 - In Jazz
手前味噌で申し訳ないです。
この作品も漫画ならではの手法による、物語の「密度の濃さ」が大変魅力の作品です。
おそらく映像化するには「歯応え」のありすぎる作品だったと思います。
案の定、その「歯応え」を期待したファンからは非難轟々となってしまったわけですが。
自分はそれでもかなり原作をうまく「料理」した作品だと思ってます。
原作つきのアニメ作品に限定して言えば、自分はブラッシュアップ型と精製型の2タイプがあると思ってます。
ブラッシュアップ型は原作の良い所や違和感のある所をリデザインしてる。
精製型は原作の段階で完成されているものをより洗練させる。
平たく言えば、前者は「良改変」、後者は「原作再現」といった所でしょうかね。
これが悪い方向に働くと「改悪」「原作レイプ」となります。
良し悪しはありますが、歯応えのある作品ほど「精製型」をファンは求めると思います。
けど、その「原作再現」って、基本「原作そのまま」を求めているわけで、
映像化に発生する良さでは少なくともないわけです。
逆に原作どおりに映像化することで、テンポが悪くなったり、筋立てが回りくどくなったりする場合も。
漫画なんかは映像の良さと合致する場合も多くありますね。
監督を始めとした製作者の方々の手腕に拠る所も多いと思いますが、
原作を映像化作品に仕立てる際に、やはり「演出(脚色)」の足し引きがなによりも大切になってくる。
つまり原作の魅力を引き出すために、足し算引き算は必要なんですよ。
ファンにとっては細かな所こそ大事な部分なのかもしれないけど、
そういうことをしないと、昨今の短い尺にまとまらないわけですから。
どの作品のスタッフさんもたぶん原作の魅力を損なわないように、尽力していると思います。
まあ、それでも端から見てしまうと、
取捨選択のセンスの良し悪しが作品の評価となってしまうから大変なのだなあと。
なんだかずいぶんと取り留めのない文章になってきましたが、纏めるとです。
1.各媒体の良さが映像化の際に再現されるわけではない
2.各媒体による「密度の濃さ」はその媒体にのみ、成立するものである
3.原作の魅力を映像として構成する場合、演出の足し引きは必要(原作通りだと映像の流れが良くない場合もある)
4.ゆえに原作(一次作品)とメディアミックス作品(二次作品)は別個に楽しむべきものである
5.だがファンは歯応えのある作品ほど「再現率」に拘ってしまう
ってことかな。
お酒の度がキツかったりすれば、水割りとかチューハイしたりするのと一緒です。
また「料理」の仕方や味に上手(美味)い不味いがあるのを考えれば、至極当然かなとも思うわけですね。
それに原作が歯応えのあるものならば、それを「料理」する人も相応の力量がないと、
出来上がった料理も美味しく出来上がらないのも当たり前ですよね。
素材の問題もありますね。
素材に様々な余地があれば、その隙間に「継ぎ足して」より良いものに出来ますし、
反対に歯ごたえのある内容の詰まったものならば、どこを「差し引き」して、見せたいものを見せるか。
やり方は色々ありますし、製作者の手腕によるところは大きいでしょう。
有名どころでは出崎統監督のように常に自らを作品と対決させて、
あの濃厚な「出崎節」と呼ばれる独自の世界に引き込んだりする場合もあります。
そこまで極端でなくても、作品との向き合い方は十人十色だと思いますし、
多くの人々が関わっているからこそ生まれる化学反応もあるから、
一概に誰が良い悪いとは言えないのかなあと。
ともあれ、これだけはいえます。
原作が強すぎると、それを乗り越えるのは難しい。
また魅力の再現も近づけることは可能だけど、完全再現は出来ない。
自分は原作が強すぎて、映像化された時に印象が減退するか平均化したものについては、
なにかしら映像化に「不向き」な要因がある事を疑います。
でも、映像化において作品の新しい見せ方を提示してくれるものには積極的に評価したいなあ。
それ以前に自分の肌の合わないやり方で演出されたものについては原作で十分だなと思うことも当然あります。
どう楽しむかは個人の自由だと思いますので。
なんにせよ、原作のカロリーが高いと作る方も見る方も大変だなあという所感です。
以上、突発的な記事でした。