In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)

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「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#3 孤高と覚悟の果てに


第3話『トップスタァ』
今度こそ「This is 天堂真矢」な回でした。や、今回はちゃんと注目しますよ? もちろんそれだけじゃなく、ここに来て一気にさまざまなトピックを開放してきたので、情報整理が大変な話数でした。そんな所でメインを踏まえつつ、拾えるものはできるだけ拾って行く感じで書いていこうと思います。

当感想は舞台版も含むネタバレですので読み進める場合は以下をクリック(スマホなどで読まれている方はそのままお進みください)

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「少女☆歌劇レヴュースタァライト」武器名解説


今回は手短な関連記事です。
今年の2/24〜3/11の期間、秋葉原のアキバCOギャラリーでバンドリ!」&「レヴュースタァライト」STOREという企画ショップが開催していました。

「バンドリ!」&「レヴュースタァライト」STORE|ブシロード公式サイト

筆者はスケジュールの都合で赴くことはできなかったのですが、この企画ショップでは関連商品やキャストの一日店長企画、パネル展示などがあったようです。特に「少女☆歌劇レヴュースタァライト」においては、実際に舞台で使用された衣装、小道具、武器の展示などもあったらしく、行っておけばよかったとも少し感じています。

大好きな『レヴュースタァライト』の衣装展に行ってみた。 - きりんログ

↑こちらのリンクは実際行かれた方のレポート記事です。このレポートの中で舞台少女たちの使う武器の写真とその武器名が紹介されています。今回はその武器の名前について、少し見ていきたいと思います。解説というか、メモみたいなところでしょうかね。なお写真等々は該当記事にて確認していただければと思います。

以下が武器名。また各キャラの使用してる武器自体の名称も自分なりに調べてみました。刀剣が多いので種類がこれで正しいのかは定かではないのでご了承ください。さっと調べてみた感じ、間違ってはいないと思いますが。


華恋Possibility of Pubertyブロードソード(一般的にイメージされる洋刀)
ひかりCaliculus Brightスティレット(止めを刺すための剣で「慈悲」の異名)
真矢Odette the Marvericksレイピア(主に決闘用の剣)
クロディーヌEtincelle de Fierteバスタードソード(バスタードに「雑種」「私生児」の意)
ばなな輪(めぐり)&舞(まい)日本刀(大太刀<輪>&小太刀<舞>)二刀流
純那翡翠弓矢(洋弓)
まひるLove Judgmentメイス棍棒。中世ヨーロッパでは聖職者が使った武器。あと重い
双葉Detarminaterハルバード(槍斧。用途が広く、使いこなすには器用さと判断力が必要
香子水仙薙刀(江戸時代には嫁入り道具の一つとして重用された)


とまあ、こんな感じです。調べてみると、武器名以上に武器の種類とその意味や用途にもキャラクターの個性が重ねられているように見えますね。特にクロディーヌの使うバスタードソードや双葉のハルバード、あるいはばななが日本刀の二刀流であるとことなどは、今後の物語展開を考えるとこれらのニュアンスが直接出てくることないでしょうけども、関わってきそうな雰囲気もあります。ばなななんかは、公式ページの紹介にもあるように「舞台少女」としてだけではなく、脚本・演出の才もあるというところでの二刀流なんだなと思うと、色々考えさせられるものがありますね。あと意味深なのはひかりの武器でしょうか。彼女だけ武器そのものの用途があまりに明確なのと、その異名を見てしまうと天を仰ぎたくなります…。
あと各キャラの使用武器の金属部分の質量と比率もおそらくはおのおの才覚の大きさにも比例してるんじゃないのかなと思われます。それを考えてしまうと、純那がとてもいたたまれなくなったり。矢じりにしか金属がなくて、それを補うための技術としての「弓矢」なんだろうなあとかも考えてしまうとやはり。
などなど、これだけでも思うところは色々出てきたりもします。
そして、ここに武器に名付けられた名前の意味を考えるとさらに連想が深まっていくわけなのですが、以下が各武器に名付けられた意味ですね。


華恋思春期の可能性
ひかりつぼみの輝き
真矢孤独のオデット
クロディーヌ誇りの火花
ばなな輪舞(ロンド)→同じ旋律を何度も繰り返す楽曲形式。
純那翡翠→忍耐、調和、飛躍の意を持つ
まひる愛の審判
双葉決定者、あるいは支配者、または規定者
香子水仙=ナルシス→『自己愛』『うぬぼれ』の花言葉


どうですか。もう色々と意味深過ぎてマズいです。
華恋だけが「若さゆえの可能性」を手に掴んでいることもさることながら、もう武器名がド直球過ぎて、作品構造にも関わっているんじゃないかと思わせられるばななの武器とか。思うところ、考えさせられることがたくさんあります。
香子辺りなんかは舞台版を見ていると物凄くドンピシャかつ非常に定番の意味を背負った武器なわけですが、この辺りがアニメ版でどう描かれるのかとても見ものですね。ナルキッソス=ナルシストの気質を持っているキャラクターなので、そこからの成長が描かれるはずでしょうし。純那にいたっては、努力の先に待つ飛躍がありそうというだけでも、報われた感じがします。クロディーヌの武器においてもまさしく「名は体を現す」という言葉そのものでしょう。
この中で一番、意味がわからなかったのは真矢の「Odette the Marvericks」Odetteは分かり易い。チャイコフスキーバレエ音楽白鳥の湖」に出てくる、魔女に悪い魔法で白鳥へと変えられてしまうオデット姫。Marvericksはこのスペルだと該当する単語が出てこなくて、Maverickでようやく「孤独を愛する者」とか「型破りな」とか「異端の」という意味が出てきます。真矢が「孤高のトップ」という意味ではぴったりな感じもしますが、間違っていたらすみません。あと「型破り」とか「異端」の意味も掛かっているのなら、今後物語にも作用してきそうな予感もありますね。
あとひかり。Twitterで一回つぶやいたときに「光り輝くつぼみ」としちゃいましたが、作品が「情熱ときらめきを巡る物語」だという事と舞台版でのひかりには「きらめきがない」という指摘を汲むと、「光り輝くつぼみ」というよりは「つぼみ(程度しかない)輝き」とした方が正しいのではないかと。その意味からすれば、彼女の持つ武器が「短剣」であることも説明がつきそうですよね。


とまあ、以上。軽い解説でした。
多分、ここで説明したことは特に物語の上で語られることはあまりないかと思いますが、一度は公に出ている情報ではありますのでちょっと検証してみた所です。やってみてわかったことは、各キャラに見合った武器があてがわれていると言うことでしょうか。この辺りの予備知識を頭に入れておくと、作品の理解がすこし深まりそうな気がします。自分としてもメモ程度に記録しておきたいと思い、書いた次第です。何かの参考になれば幸いです。

というわけで、番外記事でした。ではまた。

「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#2 渇望、焦燥、羨望、友情、そして情熱


第2話『運命の舞台』
最後の最後で衝撃が走った回、と言えるでしょうか。あ、もちろん「This is 天堂真矢」の方ではなく。あれはあれで面白かったですけども、今回の感想でメインで語りたいのは別のところにあります。

今回の感想ではその辺りを周囲のエピソードにも含めて書ければなと。
一応、ネタバレですので読み進める場合は以下をクリック(スマホだと利かないみたいだけど)。

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「少女☆歌劇レヴュースタァライト」アニメ#1 構成主義とシンメトリー

いやもうね、ちょっとアカンです。とんでもないものが始まってしまいました。
7/12に放映された「少女☆歌劇レヴュースタァライト
第1話『舞台少女』
皆さんご覧になっていますよね。なに、ご覧になってない?今ならYouTubeの公式チャンネルで1話が配信になっています。限定配信なので気になる人はお早めご覧ください。

まあ、見て分かるように少女革命ウテナライクな作品です。監督されているのはその「ウテナ」の幾原邦彦監督を師匠と見定め、「輪るピングドラム」「ユリ熊嵐」と幾原監督の下で片腕を担った、古川知宏さん。幾原監督の直弟子といっても過言ではない方が監督されています。
なものだから、目聡いファンの皆様が食いつくのも至極当然で、1話放映後にTwitterの国内トレンドで1位になったほどにはバズッたのも、ある種必然の流れではありましょうか。

しかしです。
この物語は「二層展開式少女歌劇」。つまりはTVアニメと舞台で物語が連動して展開される作品なのです。もっと言ってしまえば、昨年の9月、または今年の1月に舞台「#1」がアニメに先駆けて、公演されています。アニメより先行して、舞台が物語の幕を開けた状態でTVアニメの1話が放映になっているわけですね

今回はこれからアニメ第1話の感想をつらつら書いていきますが、筆者は昨年9月、今年1月の舞台版、または舞台版BDを繰り返し見た上での感想を書いていますので、舞台版をご覧になっていない方は是非ともご覧ください。その前提がまずないと重大なネタバレを出てくるかも分かりませんので、ご了承くださいませ。

というのもアニメの1話、舞台版の内容をインプットして鑑賞すると、あれやこれや引っ掛かるものがかなり多く「再生産」されていることに気づくわけです。反面、初見の人にはフレンドリーな作りだとも言えますが、これが舞台から追ってる人にはぜんぜん甘くないのです。その温度差が語れたらいいなと思いますがさてどうなることやらです。


以上を読んで理解したうえで、読み進めていただけばと思います。
当然ネタバレですのでそこも踏まえてお読みください。
それでは以下をクリックで展開します。

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【ネタバレ】「私たちの居る理由」歌詞読解〜少女☆歌劇レヴュースタァライト〜

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今回は「少女☆歌劇レヴュースタァライト」舞台版のミュージカル曲についてのお話。



本作はアニメと舞台による二層展開式となっている物語で、そこで繰り広げられる「歌」も作中あるいは物語において、かなり重要な位置を占める要素となっています。本作のキャラクターユニット、スタァライト九九組が歌う全楽曲を作詞しているのが中村彼方さん。
中村さんのインタビューを読むと、作詞家としては珍しく作品の企画脚本会議に初期段階から参加し、物語構築の根幹にも深い関わりを見せているようなので物語同様、その中で披露される楽曲についても、読み込む必要がありそうです。
そこで今回は歌詞の読み解きをしてみようかと思います。
↑に張った舞台版のBDを手に入れてから暇さえあれば見返しているのですが、その中でも特に読み解きがいのある一曲をチョイスして、語ってみようと思います。それが今回取り上げる「私たちの居る理由」です。
ただここで留意してほしいのは「私たちの居る理由」は作詞クレジットがはっきりしません。舞台版のパンフレット、BDのブックレットを見ても、中村さんの肩書きは「劇中戯曲脚本と作詞(2部ライヴパートの楽曲)」となっています。なので舞台の劇中で歌われている楽曲の作詞については、舞台の脚本を担当された三浦香さんである可能性が高いです(というよりほぼ間違いない?)。とはいえ、中村さんの作詞した「Star Divine」も劇中歌として使用されているのでそのあたりの境界線がはっきりしていないのが悩ましい所。舞台版のプレコール(自己紹介曲)とは別に、キャラ紹介楽曲である「よろしく九九組」をTVエンディング曲のカップリングに作っている辺りを察すると、はやり違うのかなとも。

それらを踏まえて、今回の記事をお読みいただければと思いますが、それにしても「私たちの居る理由」の歌詞が聞く度に唸ります。端的にいうととてもエモい。エモくて、いろいろ今後のことがいろいろ思い浮かぶくらいなのですが、それはおいおい語るとして。
例によって舞台版視聴を前提としたネタバレになります。
続きを読む場合は以下をクリックして、お読みください。

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音楽鑑賞履歴(2018年6月) No.1253〜1263

月一恒例の音楽鑑賞履歴です。

11枚。
梅雨に入ったと思ったら、6月の内に梅雨明けしてしまいました。
7月に入ったばかりなのにもう夏の日差しですでに猛暑の様相を呈して、今年の夏の暑さを物語っていますね。
先月は計らず、フランク・ザッパ特集で新規盤より所持盤の感想が多くなってる感じです。
色々あって、しばらく聞いてなかったのですがやっぱり好きですね、ザッパ。
夏もいよいよ到来。暑さに体力を奪われずに過ごしたいですね。
というわけで以下より感想です。

Yellow Shark

Yellow Shark

・93年発表62th(※ライブ盤も換算した枚数)。この作品のリリース約一ヵ月後に亡くなったのでこれが遺作となる。録音は92年9月。ドイツの室内楽団、アンサンブル・モデルンがザッパの楽曲を演奏した音源が収録されている。ザッパは一部指揮を行っているが基本的にはプロデュースのみで演奏には不参加
内容も完全に室内楽なのでロックな演奏を期待してはいけないが、ザッパミュージックの一角として、現代音楽、あるいはクラシック音楽のアプローチは重要な位置を示している通り、奏でられる音楽はまさしくフランク・ザッパの音楽である。あの独特なテンポと音のうねりを再現してしまえる楽団も凄まじい
というより、ザッパの脳内に鳴り響く「音楽」とはこういうものだったのか、ということを再確認する。「正確な演奏」であるならば、晩年傾倒したシンクラヴィアによる音楽がまさにそれなのだが、おそらく「再現性」で言えば本作に軍配が上がるのではないか、と。ザッパの想定する楽器で響く演奏。
それを考えると、ロックミュージシャンとしてのザッパの特異性も見えてくるのではないかと。このユーモラスかつシリアスなミュージックこそが思い描いたものであり、必ずしもロックはその音楽の最適手ではなかった。それ故に、この盤に包み込まれる賞賛の拍手は純粋に彼の音楽に贈られたものだろう。
そんな最晩年の幸せな一瞬も捉えた作品でもあるのだと思う。初手に聞く作品でもないし、お薦めしづらい一枚でもあるが。ファンならどこかのタイミングで聞いてほしいと思うアルバムだ。

ニンジャスレイヤー フロムコンピレイシヨン「殺」

ニンジャスレイヤー フロムコンピレイシヨン「殺」

15年発表OST。同名アニメのED楽曲コンピレーション&大沢伸一作曲の劇伴BGMが収録された第二弾。作品のサイバーパンクかつバイオニックな雰囲気に合わせて、日本のインディーズシーンのオルタナミュージックが有名無名問わず収録されている。ED楽曲はどの曲も刺激に満ちた内容ばかりだ。
オルタナ、ドゥーム、ラップにガレージ、ポストパンク、エレクトロ、珍しいところではネオアコ的なボサ・ノヴァなどなどを縦断して、当時の日本アンダーグラウンドシーンが窺い知れる点ではアニメ作品のサントラとして以上にいい構成と選曲であると思う。一方大沢伸一の手がけたBGMも作品に沿った作り
カオティックかつサイバーパンクなインチキ日本に繰り広げられるニンジャの復讐劇によろしく、過去がフラッシュバックするようなダークでパンチの効いたエレクトロも聞き応えは十分。一粒で二度美味しい、コンピ系サウンドトラックの良盤だろう。

FRUITS CLiPPER

FRUITS CLiPPER

・06年発表7th。それまでの渋谷系フォロワー的なハッピーエレクトロ路線から、バッキバッキのフロア仕様エレクトロ(EDMといっていいかもしれない)に様変わりした一枚。同時にこれ以降のプロデュースワークスにおける中田ヤスタカ的ポップスの雛形が完成した作品だと思う。とにかく音圧が強く煌びやか
今聞くと、このアルバムリリースの前年に出たダフト・パンクの「Human After All」からの影響がかなり色濃いが、それでこのアルバムの魅力が劣るということは決してないと思う。その影響を踏まえて、さらにキャッチーな個性を上乗せしているのが何よりの証拠だろう。本家にはないポップネスこそが魅力
EDMよろしく、ストロボでフラッシュを焚いたようなアタックの強い音と渋谷系フォロワーらしい甘いメロディが重なることによって、日本にはそれまでなかった感覚のエレクトロポップに仕上がった事がなによりの収穫なのだろう。事実、後のPerfumeなどに繋がる曲想が多数盛り込まれている。
このアルバムがベースとなり00年代後半のJ-POPシーンを席巻するサウンドが展開されていくことを考えると、まさしくターニング・ポイントだったのでは、と推測する。楽曲、アルバム構成とともに非常に練られた強力な一枚であり、中田ヤスタカの快進撃を決定付けた名盤だろう。

VEGA INTL. NIGHT SCHOOL

VEGA INTL. NIGHT SCHOOL

15年発表3rd。もはや死語となってしまったヴェイパーウェイブの代表的ユニット。前作のベッドサイドミュージック的な陶酔感から一転し、ポップサイドへと傾いたサウンドを提示している。前作の余波からか、そのドリーミーでサイケデリックな感覚も健在で、快活だが不定形なポップさがかなり奇妙。
P-ファンクや80sディスコのブギーで鳴り響く、グニャグニャっとしたシンセサイザーの音がアルバムの大部分を支配し、めまぐるしくメロディを変えていく。そのキッチュなメロディが煌びやかながらも、一筋縄でいかないメタリックで華やかなサイケデリアを標榜する。夜間学校と名付けた通りの妖しさ。
音自体は非常に洗練された、伸びやかなものだ。その透き通った幻想性は鏡に乱反射する光のように多方面から浴びせられる。陰影のコントラストよりも光の眩しさでコントラストをつけて、ホワイトアウトした感覚にも陥る。シンセの持つ清濁を熟知したようなフロアポップの良作だ。キレの悪さが堪らない。

Lotus Land

Lotus Land

15年発表1st。日本人のピアノトリオによるディスコティックなクラブジャズの初作。1曲目がかのレコード番長、須永辰緒氏に取り上げられたりもしていることで有名。ジャズとは言ったが、聞こえてくる音楽は70年代後半のスペーシーなディスコサウンドに多大な影響を受けている音でその手が好きな人には堪らない作り
アープオデッセイのようなシンセの響きが宇宙的な広がりと浮遊感を演出すれば、ディスコミュージックの野太くシャープなボトムラインがミニマルに踊りだし、そこへ煌びやかなピアノの音色が全体を包み込む。その演奏の黄金律に思わず、リズムを取りたくなるほどだ。聞いていてとても楽しくなる。
スペースブギーというにふさわしいサウンドで、一度鳴らせば、そこはもう銀河系の彼方。なにより70年代のディスコサウンドにリスペクトとオマージュを感じさせながら、Nu Discoのトレンドに上手く乗った良盤だと思う。人懐っこい人力の演奏がこの作品のいい塩梅だ。長く付き合えそうな一枚。

ロビンソンの庭

ロビンソンの庭

87年発表OST。同名映画に使用されたJAGATARAの楽曲だけを抜粋し、「ゴーグル、それをしろ」のリミックスを追加して構成、CDで再リリースされた変則的な作品。彼らのディスコグラフの中では最もコンパクトな内容となっている。同時に今まで見せてこなかった側面を聞かせてくれるという点でも貴重な記録だとも言えるだろう。
江戸アケミのポップサイドが顔を出したような冒頭2曲は晩年、アフリカンミュージシャンと共演する事を考えると納得できる楽曲で、ワールドミュージックの陽的・朗らかな部分を積極的に取り入れようとする姿勢が窺える。元々アフロビートも演奏していた事からもサンバなどのラテン音楽へと向くのは必然
後半の二曲は旧曲の再演とリミックスだが、こちらは彼らの本領というか怒りや苛立ちのようなフラストレーションを爆発させる楽曲であり、前半の2曲にはない、その猥雑な熱気の煮えたぎる様を感じさせてくれる。最後の曲は当時らしいラップ的なリミックスだが挿入されてる江戸アケミのライヴMCは切実だ
江戸アケミが持っていた危機感がそのまま現在において浮き彫りになっているように思えてしまい、彼にしてみてみれば「それ見たことか」と言わんばかりだろうかと感じてしまう。しかし、それを見ることなく亡くなったのは幸か不幸なのか。ともかくバンドの今までにない側面と従来の路線が味わえる佳作だ

Little Feat

Little Feat

71年発表1st。ザッパファミリーのローウェル・ジョージが結成したバンド。ニューオーリンズセカンドラインブルーグラス、カントリーなどのアメリカ南部音楽を咀嚼したレイドバックなサウンドを押し出している。南部の泥臭く、粘りのあるビートに乗り、ローウェル・ジョージのVoが朗々と歌い上げる
この初作では、まだ後の作品で見られる洗練さは見られず、バンドサウンドとして取り入れた音楽要素が雑味の残ったまま、ごろっと押し出されているのに目を引く。その点では垢抜けなさと荒削りな部分があるが、返ってそれが盤の捨てがたい魅力にもなっている。同時にそれが彼らの意思表示でもあるか。
次作で再演される5など原石の輝きを持つ楽曲も多く、いわゆるアメリカーナ音楽と呼ばれるジャンルを切り開いたバンドとして見る事は可能だ。アメリカの雄大な大地に吹く柔らかな風と乾いた土臭さが感じられる伸びやかなサウンドが何よりも魅力的な一枚だ。完成度は以降の作品に譲るが味わい深い佳作だ

Absolutely Free

Absolutely Free

・67年発表2nd。前衛性が強かったデビュー作のカドが取れた感がある一方で、レコードのA面、B面でそれぞれ「アンダーグラウンド・オラトリオ・シリーズ」と名づけられたコンセプチュアルな組曲形式が取られているアルバム。CD化に際し、シングル曲が「幕間」的に挿入されている。
コンセプトアルバムとしては僅か一週間足らずだがにビートルズのサージェントペパーズに先駆ける内容となっているとともに、こちらの方が明確なテーマに基づいて構成されている印象を持つ。アンチ・カウンター・カルチャーで当時の米政府にも懐疑的なザッパの痛烈な批判が全体のトーンとなっている。
サウンドの方は戯作的で芝居とバンドの演奏が渾然一体となったもので独特な個性に早くも確固たる地盤を築いている。その意味からでも統一感は前作と比べるまでもなく、強くなった。前衛性の強い曲などを組曲の一展開として上手く構成できたのが大きいだろう。演奏も随所でギターより木管が目立つ。
この辺りはザッパの現代音楽志向が見え隠れしており、思い描く音において、重要な位置にあるのだと感じさせられる。アルバムの構成的には今ひとつだった前作から格段に進歩した一枚。ここまで猥雑でカオスな内容にも拘らず、ザッパはノードラッグを貫いて製作しているのだから凄まじい。

We're Only in It for Money

We're Only in It for Money

・68年発表3rd。当時隆盛していたヒッピー文化、フラワームーヴメントを徹底的にこき下ろした、初期の傑作。「オレ達ゃ、金のためにやってる」というド直球なタイトルとともにあまりにも有名なサージェントペパーズのジャケットパロが痛烈。前作に引き続き、初期サウンドの洗練化が進み、完成を見る。
前作でも展開されたコンセプチュアルな構成が今回はアルバム全体で構成されており、A面B面とも曲間の区切りなくほとんどメドレー形式で展開されていく。内容としては当時流行していたサイケデリックロックやラヴ&ピースを掲げたヒッピーの理想主義をこき下ろす楽曲が目白押しで、シニカルさが漂う。
一方でフラワームーヴメントの熱気に当てられたヒッピーたちを反逆者として駆逐しようとする存在(アメリカ政府?)を忘れるなと警鐘も鳴らす。という、ポリティカルな内容でもあるが、サウンド的にはリズムが面白い作品で従来のザッパらしいウネリのあるメロディに華を添えている。
毒気のある歌詞が非常にポップなメロディに乗っかって、一気呵成に流れていくが本作の肝はラストの19だろう。痛烈に皮肉った後におまえら(ヒッピー)の行き着く先はここだといわんばかりにザッパの前衛性が牙を剥く。最後の最後で不穏に響く現代音楽のサウンドは50年を経た今でも十分通用する。
ノー・ドラッグを貫きながら、サイケにも呼応したサウンドで毒を吐く。本当にこれを素面でやってること自体が逆に狂気的でもあるが、ザッパの才覚が爆発したという点においては開花の瞬間を捉えた名盤だろうと思う。音響系やヒップホップにも通じる箇所のある点でも先駆的な一枚。

Lumpy Gravy

Lumpy Gravy

・68年発表4th。ソロ名義としては初めての作品だが、ジャケット裏面にあるように前作「We're Only In It For The Money」の続編であるのが示唆されていることからも、バンドとソロ活動に明確な区別はすでにない模様。とはいえ、本作は初期作の中でも現代音楽色が特に色濃い作品だといって過言ではない
オーケストラ演奏にバンドの演奏、人の会話。それらが等しく切り貼りされて、いわゆるミュージック・コンクレート的なサウンドコラージュによって構成されている。レコードにおける片面約15分ずつ、その混然とした構成の「音」は慣れない人が聞けば、ひどく退屈なものにも聞こえてしまう。
繰り広げられる会話の内容も前作を踏まえてなのか、ラリッた会話のオンパレードなのも非常にシニカル。そういった薬物で分裂した精神の中で鳴る音をとても冷静にかつ分析的に構成している所に音楽的価値があるのかもしれない。が、どちらにしてもそういった危うさに警鐘を鳴らしているようにも思う。
ちなみに後の作品に収録される「Oh No」と「King Kong」は発表順からすればこのアルバムが初出。全体の印象としては、ミックステープやリミックス的な概念で構成されている一枚でもあり、現代音楽的な「音」を表現した作品でもある。興味深い内容だが振り切った作品でもあるので聞く際に注意は必要だ。
テクノなどに慣れ親しんでいると、そこまで聞き辛い作品でもないが形式的なバンドの演奏を期待してはいけないアルバムだろう。同時にザッパの現代音楽への思いが初めて形となった作品として記憶される一枚だ。

Jazz From Hell

Jazz From Hell

・86年発表47th。当時出始めたばかりのFM音源搭載シンセサイザー、シンクラヴィアをほぼ全編駆使したアルバム。同時に没後リリースされた遺作「Civilization Phaze III」が出るまではザッパ最後のスタジオ録音作品でもあった(本作以降のリリース作品はお得意のライヴテープ編集によるものが主)。
7のみライブ音源でそれ以外はシンクラヴィアを使った楽曲が収録されている。ほとんどシーケンサーによる自動演奏なので、ザッパが頭の中で思い描いたメロディがテンポのズレなく、譜面どおり正確に演奏されている。その正確性についてはザッパも満足していたようだ。
内容についてはFM音源によるメロディが存外レトロゲームサウンドの趣があり、今となっては懐かしさのある音だが、その生音っぽくない感触がザッパの脳内を垣間見るようでヒューマニックな印象すら与える。ザッパのニューロンシナプスに流れる電気信号が織り成すメロディだと思えば、面白い響き。
奇々怪々、複雑怪奇、ユーモアとシリアスが混じり合い、螺旋運動のように継ぎ目なく上昇、下降する音楽はザッパのインナーワールドであり、時に内省的な表情を見せる。その展開される旋律だけを取ってみれば、やはりロックより現代音楽であることが手にとってよく分かる作品であり、明快な一枚だろう。
他人を介さない分、「雑味」が一切ない純度100%のザッパ節を聞ける点では貴重な作品であり、ザッパの現代音楽サイドでも最も分かりやすい作品と言っていいだろう。後年、アンサンブルモデルンが完璧に脳内での響きを「完全再現」したG-Spot Tornadoのオリジナルは本作収録。違いを聞き比べるのも楽しい一枚だ。

音楽鑑賞履歴(2018年5月) No.1239〜1252

月一恒例の音楽鑑賞履歴です。

14枚。
今年も半年が過ぎました。早いもんです。5月は邦楽メインであとはちょこちょこと英米をつまんでる感じでしたかね。
なんというか春らしい陽気さと影を感じるチョイスにはなったのかなと。
大分、日照時間も長くなって夏が近づいてるのをひしひしと感じます。
今年も暑くなりそうですが、バテないように気をつけたいものですね。
というわけで以下より感想です。

And Then There Were Three

And Then There Were Three

77年発表9th。次々にメンバー抜けてゆき、ついに三人だけが残ったジェネシスの「再出発」盤。ピーター・ゲイブリエルの脱退以後、サウンドのテクニカル化が顕著になっていったが更にスティーヴ・ハケットが脱退したことにより、その傾向に更に拍車がかかった格好となった。大曲主義も鳴りを潜めている
とはいえ、作品的には未整理な部分が多く、過渡期という印象が強い。まだプログレらしい趣とテクニカルポップスの華やかさが一曲の中に混在しており、結果的にメロディが重層的になっている所に過密さを感じるか。なにかの原液を飲まされている感覚で一曲ごとの内容は非常に濃い。
反面、アルバムの構成としてはかなり散漫でプログレ時代のコンセプチュアルな趣は皆無、という辺りも当時、批判の的になったのでは思わされるが、奏でられている旋律そのものはとてもキャッチーであり、メンバーのメロディメイカーッぷりが窺えて、後の大ヒットの布石が見え隠れする。
この路線変更が結果的に当時のバンド史上最高のチャートアクションを見せてしまうのだから、皮肉といえば皮肉。ついでにヒット曲となった11はプレ80sサウンドとしても聞けるのが興味深いところか。プログレの終焉と80sサウンドの萌芽を同時に見ることの出来る佳作。そして快進撃の始まりを告げる一作だ

くうきこうだん

くうきこうだん

99年発表1st。はっぴいえんどの血脈に連なるシティポップス。当時インディーズで発表してたテープの音源を取りまとめた彼らの初作。ど直球に荒井由実直系サウンドをバンドスタイルで押し出しているが、そこに時代的なローファイサウンドオルタナ然とした歪みも入り込むのが目を引く。
柔らかな旋律が流れてくる一方で全体的なサウンドが硬質な向きを感じるのは、70年代のニューミュージック勢とは違った趣でバンド名にも使われる「公団」からの連想で公団住宅、いわゆる団地の肌触りを感じる。あの無機質で秩序的な住宅周りの独特な情緒が彼らの音として機能しているのだ
その為か本作のサウンドにもあまり土臭さはなく、かといって都会的な洒脱した趣も薄い。あるのは人懐っこい日常とその人工的な自然と無機質な住宅を構成するコンクリートの冷ややかさ。そこに柔らかな日差しの温度が差し込み、爽やかさを演出する。「街」ではなく「町」を感じるシティポップの良作だ。

Morrison Hotel

Morrison Hotel

・70年発表5th。デビューしてからわずか三年でここまで枯れた味わいになるのかというほど、ブルース色が強まった一枚。同時にスワンプロックの流れに呼応するかのようにアーシーな雰囲気も出て、ファンキーな感覚とサイケの喧騒にくたびれた趣が同居しているのが独特。
幽霊の正体見たり枯れ尾花、といった向きもある本盤ではあるがサウンドの幻想性が抜け落ちた分、前作から続くバンドメンバーのソウルやブルースに対するアプローチが色濃くなって、音がかなり骨太になっていることは確か。反面、ジム・モリソンがややヤケクソなパフォーマンスなのが温度差を感じる。
演奏陣とVoのこの温度差がそのまま本作の上げ潮と下げ潮になっていて、ファンキーな熱っぽさと、醒めた眼差しが入り乱れているのだろうと思う。奇しくもそれがバンドとしては化学反応を起こして、あまり類を見ない荒涼としたサウンドとなっているのが興味深い所。新しいフェーズに踏み込んだ意欲作か。

キミドリ

キミドリ

93年発表唯一作。ジャパニーズラップクラシックスの一つとして名高い一作。30分にも満たない短い収録内容だが、歌われるリリックは現在でも十分に通用しうるテーマを内包すると言ってもけして過言ではない。ほの暗くダークなリズムトラックに乗せて語られるラップは社会と自我との拮抗がテーマだ。
25年前の作品にも拘らず、ここで歌われる社会における自我の閉塞感やニヒリズムに満ちた社会への諦念は現在のリスナーたちが置かれているだろう等身大の状況とひどくリンクしてしまえる効用がとても高いはずだ。「自己嫌悪」「白いヤミの中」といった代表曲は特にその傾向が強い。
当時はこれがアンダーグラウンドな叫びに過ぎなかったのが、時を経てメインストリームに躍り出てしまっているということなのかもしれない。が、だからこそ「療法」として聞けてしまうのがこの盤から滲み出たエヴァーグリーンな魅力だと思う。時々自分が意味もなく無性に不安になった時に聞きたい名盤だ

SEYCHELLES

SEYCHELLES

・76年発表1st。前年にサディスティック・ミカ・バンドが空中分解し、その余波を受けて送り出された高中正義のソロ第一作。ほとんど同時にミカ・バンドの残党によるサディスティックスの1stもリリースされていて当時の動きがめまぐるしいが、ともあれJ-FUSIONにおける金字塔的作品の一つかと。
東アフリカに浮かぶセーシェル諸島をモチーフに、ミカ・バンド(ひいては加藤和彦)のトロピカルさとエキゾチックさを推し進めた内容で、演奏陣はそのままミカ・バンド〜サディスティックス勢で構成されているから悪いはずもなく。むしろミカ・バンドのリゾート的な洒脱感が一つの完成を見ている。
高中のギターも、ソロやアドリブに走るわけでもなくベンチャーズ直系というべき、メロディラインを弾くことに徹底しているからこその気持ち良さがある。というより、Stuffの諸作と同じ感覚で本作を聞いている事に気付く。熟成されたグルーヴにギターが程よく歌い、陽気な雰囲気が漂う所などはまさしく
それを考えると後藤次利のベースや林立夫のタイトなドラムなどといった、ミカ・バンド〜サディスティックス人脈がどれだけ実力者揃いだったということが良くわかる一枚でもあり、芳醇な和製グルーヴが楽しめる名盤なのだろう。次作ではボトムラインが変わり、また違った味わいになるがそれもまた良し。

風の歌を聴け

風の歌を聴け

94年発表4th。メンバー脱退を経て、新体制での最初の作品。従来の作風が洗練されている一方で、キャッチーなヒット性も兼ね備えた感のある内容となっている。一聴して、初期三作の濃さが薄らいだ分、肩の力が抜けたのか、伸びと勢いのある演奏が目立つ。かといって売れ線を狙ったわけではない印象も。
先行シングルで発表された10やそのカップリングである6はアルバムバージョンで収録されているが、彼らの音楽性にJ-POPの要素が取り込まれた向きが強く、バンドの軸足はほとんどブレていないのに気付く。深度を増しながら大衆性も伺える、バンドの好調さを感じられるソウルフルでグルーヴィな良盤だ。

RAINBOW RACE

RAINBOW RACE

95年発表5th。前作のキャッチーさをあえて切り捨て、取り入れた音楽要素の「クセ」を我が物にしようと試みている一作だと思う。J-Pop的な洒脱感や、前作までで熟成された彼らのポップネスをひとまず置いて、ソウルやラテン音楽全般に根付く「泥臭さ」に注力しているためか、音やビートが非常に粘っこい
この為、楽曲の弾力がかなり特徴的で、手に入れたグルーヴをさらに深化させているのが窺えるし、その音楽たちに染み付く歴史的な「汚れ」や「傷跡」にリスペクトしているような印象も受ける。カジュアルに消費するのではなく、しっかりと理解するために真っ向から音楽に取り組む姿勢が研究的でもある。
前作が上澄みのスープであるならば、本作は骨身を砕いて、ぐつぐつ煮込んだ濃厚なスープにも思える。とはいえ、枚数を重ねている分、飲みやすさも意識したものとなっているのもまた抜け目ない内容でもあるか。日々の研究によって、音楽の実像を捉えようとする成果が見える良作だろう。

Desire

Desire

96年発表6th。本作よりバンドからソロユニットへ。内容はさらにサウンドの土臭さが濃厚になって、よりアーシーなルーツミュージックアプローチが顕著になった。全体を聞き渡すと大滝詠一の「NIAGARA MOON」を髣髴とさせるセカンドラインやルンバが聞こえてくる一方で、音の感触は当然ながら異なる趣。
とはいえ、前作に比べ湿度が段違いで本作の方がより乾いた音に感じられるか。ウェットな印象は皆無で、そういう点ではアメリカの乾燥地帯におけるアメリカーナ音楽を感じるが、次作以降の予告編のような打ち込みサウンドもひょっこり顔を出しているのが興味深くもあり、前作とは違った陽気さを感じるか
大滝のようなリズムのこだわりと細野晴臣が提唱した「チャンキーミュージック」が本作で合わさって、ごった煮ルーツミュージックになっているのは日本人だから出来る部分であるなと思いつつ。ここまで乾いていると逆にシングルカットされた9などが歌謡曲然としていて浮いてしまうほど。
バンドがソロユニットになったからなのか、表現の自由度が高くなったように思える一方で前作前々作からの作風が煮詰まった感があり、本作はその飽和点ギリギリという印象も感じなくはない。どちらにしてもまた曲がり角に行き着いた事で岐路に立った佳作だ。

ELEVEN GRAFFITI

ELEVEN GRAFFITI

97年発表7th。当時隆盛しつつあった、ドラムンベースなどのテクノや打ち込みを導入した作品。一曲ごとのサウンドが重層的になっていることからもハードディスクレコーダーで録音しているような気もするが、その辺りは定かではない。とはいえ、過去三作のアーシーな趣も残っていて、ごちゃ混ぜ感がある
ルーツミュージックとテクノ、打ち込みの同居という点ではBeckを思い出させるが、本作の肌触りはそれよりも同時代、この直後に大きなブームになるビッグビートへ繋がる音だろう。ファット・ボーイ・スリムが作り出した、埃くさい汚れた音で四つ打ちのキックを入れる、あの雰囲気にとても近い。
オリジナルラブ田島貴男がテクノDJではなくミュージシャンだという事が本作の音にも直結していて、音の組み合わせ方がフィジカルなのが大きいのだろう。切り貼りするのではなく繋ぎ合わせているから、歌が埋没せずに際立っている印象だ。ただまだそれらのブレンドに改善の余地を感じる。
実際、テクノや打ち込みは要素の一つであり、メインを占めていない点からも明らかのように、メインはルーツミュージックへの濃いアプローチだ。新要素がそれらを希釈してる一方、ひょっこりマージービートも顔を出し、前作よりは抜けの良さがあって気楽さも感じる。過渡期ではあるが意欲作な一枚だ。

死者

死者

85年発表唯一作。4曲入りのミニアルバムにリリース後のライヴ音源&デモ音源の計8曲を増補した再発盤。当時、日本インディーズシーンを牽引していたレーベルの一つ、TRANS RECORDSからのリリースというのもあり、当時のインディーズのアングラな雰囲気が感じられるポストパンクな内容。
ストパンクというよりはポジティヴパンク、ひいてはゴシックロック然としたダークな音だがそこに日本的な怨念めいた呻き声ボーカルがじっとりとべた付く、アングラさは唯一無二だろう。ジャックスの類似も指摘されるが、内省的というよりはポリティカルな緊張感が強く、演奏とともに非常に攻撃的だ。
ドライでひり付く音はThis Heat辺りのインダストリアルな響きに接近し、呪術的なドラムはライナーノーツにもあるようにCanのヤキ・リーベツァイトを思い浮かべるが、それらを凌駕して中田潤の亡霊を呼び起こすような気迫に満ちた厳格な歌声が支配する。快楽は一切ないが聞かれるべきアナーキーな一作。

YELLOW DANCER (通常盤)

YELLOW DANCER (通常盤)

15年発表4th。前作でのAOR色からさらに発展して、80年代のブラック・コンテンポラリーに接近したサウンドが全体のトーンを占める作品となった。ライトメロウというには黒っぽく、ディスコミュージックらしいダンサブルな要素の強さが目立つ。反面、セクシャルな趣はあまりなく中性的なニュアンスが。
前半のR&Bやブラコンを意識した楽曲よりかは7以降のセカンドラインや黒さを控えめに、日本的な情緒を浮き上がらせたライトメロウ調の楽曲の方が楽しく聞けた印象を感じる。というより、ブラックミュージックから滲み出るセクシャルな香りが星野源自身のキャラや歌声によって中和されてしまっている
この為、音楽本来の腰の強さが出ず、リズムやビートに粘りと重みがないのが痛し痒しといった所。反面、その軽妙さがセカンドラインの跳ねたリズムなどには躍動感を与え、小気味よさを出しているので、相性の差がはっきりと出たアルバムとなっている。そういう点ではポップスの軽さが良く出た一枚だろう。

NEW AGE STEPPERS [解説・ボーナストラック収録・国内盤] (紙ジャケット仕様) (BRC79)

NEW AGE STEPPERS [解説・ボーナストラック収録・国内盤] (紙ジャケット仕様) (BRC79)

・81年発表1st。80sニューウェーヴを代表するUKレゲエ/ダブの名作。首謀者であるエイドリアン・シャーウッドが主催するOn-uサウンドのメンバーを始め、The Slitsのアリ・アップやThe Pop Groupのメンバーといったポストパンク勢が参戦しており、既成のポップミュージックを破壊・再構築を図っている。
レゲエを基調にダブのサウンド処理に掛け合わせて、ポストパンク特有のインダストリアルな脱構築が繰り広げられ、枯れ尾花を幽霊に仕立ててみせるというのが彼らの目指したこと、なのだろう。都市化した風景に入り込む、スピリチュアルなもの、ファジーな存在を表現するように残響が鳴り渡る。
都市の民俗音楽ともいうべき、その土着的なリズムと幽玄な響きはUKのニューウェーヴミュージックの極北でもあり、最も分かり易い形でそのサウンドを提示しているようにも思える。この流れが後にワールドミュージックへと目が向けられるきっかけにもなった歴史的な重要作と位置づける一枚だろう。

無線衝突

無線衝突

・05年発表1st。当時新進気鋭のインディーズレーベルだった、デルタソニックからデビューしたポストパンクバンド。ペケペケの硬質なギターフレーズに深いベース音にダブ処理したエコーがいかにも鳴り響くのがフォロワーたるゆえんだろうか、サウンドに危うさはないが再現度はなかなかのもの。
本家が社会批判や政治的メッセージをアジテートするラディカルな反抗精神を内に秘めていたが、彼らが歌うのは男女の関係であり、ラブソングだ。ポストパンクをバンドのスタイルとして、ファッションに演奏するのが彼らの特色と言える。その試みは興味深いが反面弱点でもあるか。
本家の緊迫感や過激さがない分、ポップミュージックの範疇に収まっているので、何かしらの危うさや鋭利さを期待すると肩透かしを食らってしまう可能性は否定できない。が、ポップスを奏でるポストパンクという立ち位置が受け入れられればそれなりに楽しく聞ける作品だ。

Get Ready

Get Ready

・01年発表7th。沈黙の90年代を経て、8年ぶりの作品。新世紀に入ってもやってることはあまり変わり映えはしない、というよりは彼ら特有のメランコリーなサウンドは本作でも健在で、ディスコグラフの中でもかなりロック色の強いアルバムとなった。今まで以上にギターのディストーションが利いている。
その為か、音はかつてなくタフになっているが、従来のメランコリーが失われているわけではないので筋肉の上に乗っかる贅肉の弛みのように、かとなくルーズなサウンドになっているのが面白い。それが返って、彼らが通過していない90年代のオルタナに卑近しているのだから不思議なものである。
シンセサウンドもかつてのアシッドハウス的な趣はほとんどなく、当時流行っていたエレクトロニカ的な叙情が感じられ、その辺りも彼らのサウンドに合致した、というのも大きいだろう。8年のブランクがリフレッシュとなったのか、引き締まったサウンドが聞ける快作というべき一枚だ。