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話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選

さて、今年もやってまいりました。話数単位で選ぶ、TVアニメ10選です。


「話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選」参加サイト一覧: 新米小僧の見習日記


こちらのサイト様に集計されている恒例行事ですね。
毎年、放映されたTVアニメの中から話数単位で面白かった回を選ぼうという企画です。

ルール
・2015年1月1日〜12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

本ブログは5回目の参加です。
年の瀬の定期記事として定着しつつあって、いい感じです。
一年を纏める上でも、またとない機会ですしね。
ちなみに当ブログ過去の10選は以下のリンクとなってます。

話数単位で選ぶ2011年TVアニメ10選 - In Jazz
話数単位で選ぶ2012年TVアニメ10選+α - In Jazz
話数単位で選ぶ2013年TVアニメ10選+α - In Jazz
話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選+α - In Jazz

そんな感じで筆者の独断と偏見で選んでいこうと思います。
今回も初回放映日を付け加えてみました。
ではそろそろ始めて行きましょう。
なお一応、敬称略です。


《話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選》


1.ハピネスチャージプリキュア!第47話「ありがとう誠司!愛から生まれる力!」(1/11放送)

ハピネスチャージプリキュア! 【Blu-ray】 Vol.4

ハピネスチャージプリキュア! 【Blu-ray】 Vol.4

脚本:成田良美
絵コンテ・演出:三塚雅人
作画監督:赤田信人
《コメント》
昨年に続く選定となった作品。
というより再視聴をして、改めて作品の魅力を感じ取れることができたというべきか。
シリーズ構成を担当した、成田良美の意図がとにかく徹底してるなあと思わされる作品だった。
ハピネスチャージプリキュア!」の最終決戦は愛乃めぐみを軸とした三段階フェーズに分かれていて、
これが第一段階目。めぐみ(キュアラブリー)VS誠司のエピソード。
また「愛乃めぐみ」というパーソナリティの結びを提示する回でもある。
この作品についてはブログ記事の後編で詳しく触れたいと思っているが、
めぐみと誠司は幼馴染というあまりにも深いところで密接に繋がっていたために、
確認しあうべきことをお互い分かっているものとして、確認すらしなかった関係だ。
無自覚ともいうべき深い間柄だったこそ、気付くのが遅くなってしまった。
そういう関係の奥底に溜まっていた感情を受け止める回でもあり、
めぐみ個人の幸せが明確な形となって、提示されるエピソードでもある。
なにより一番震えたのがめぐみがこの回で示した行動。
プリキュアとしてではなく「愛乃めぐみ」が自らの「我」をさりげなく見せるシーンこそが、
この作品最大のキー・ポイントのような気がする。
その「我」を見せた相手こそが、誠司だったというのは必然なのだ。
誠司と「手を繋ぐ」ことができた「愛乃めぐみ」は無敵である。
お互いを認め合う先に生まれるのが「愛の力」だという帰結が鮮やかに提示されたエピソードだった。
プリキュアになった少女は何を得たのか?〜「ハピネスチャージプリキュア!」〜(前編) - In Jazz


2.寄生獣 セイの格率 第21話「性と聖」(3/5放送)

脚本:米村正二
絵コンテ:清水健一
演出:石田暢
作画監督:芦谷耕平、垪和等
《コメント》
広川の演説から後藤との決戦直前に向かういわゆる「凪」の回。
アニメ化について賛否の分かれる作品ではあったが、筆者的にはアニメ化された価値はあった作品だと思う。
アニメ「寄生獣〜セイの格率〜」を考える。 - In Jazz
上記リンクでも語っているように、「泉新一」の物語として演出されているからこそ、
原作とは違った味わいがあると見ている。
後藤という死の恐怖に追いやられた新一が心の拠り所としたのが里美だった。
人は不完全だから繋がりあう、とでも言うべきだろうか。
いつか殺されるという言い知れぬ不安。
しかし「殺される」を「死ぬ」を置き換えれば、すべからく人はそこへ行き着く。
「死にたくない」という誰もが持ちうる恐怖に耐える術こそ契りを結ぶ行為、つまり生を「繋ぐ」事なのだ。
死地に向かう兵士がこの世の別れと言わんばかりに意中の女性と関係を結ぶ。
というのは、自分の生きた証を残すという意味も少なからずあるだろう。
同時に生きて帰って来る場として、根を下ろすという意味も恐らくある。
選定したエピソードにおける新一の心理状況はまさしく兵士のそれであり、
里美はそんな新一の恐怖を受け止め、彼の不安を埋めている。
気持ちを完全に分かり合うことはない。が、それを分かち合うことは出来る。
「死にたくないからこそ生きる」というのは生物が本能的に持ち得ている思いだ。
人も動物も、寄生獣も。何かに支え支えられて生きているし、時には殺しあっている。
新一と里美の契りは自然の、生命の摂理としてごく自然なものだ。
そうやって生命は営まれ、地球の上で共生していく。
アニメの副題についた「セイの格率」というのはそんな本能的な秩序を指しているのだと思う。
生態活動の原理として性愛をうまく描いたエピソードとして記憶しておきたい一遍。


3.クロスアンジュ 天使と竜の輪舞 第22話「Necessary」(3/8放送)

脚本:樋口達人
絵コンテ:伊藤達文
演出:青山弘
作画監督(キャラ):岡毅、今岡大、中島渚、小山知洋、高乗よう子、中本尚、小野早香
作画監督(メカ):安藤義信
総作画監督:原田大基
《コメント》
上記の「寄生獣」とほぼ同時期に描かれた、もう一つの「性愛」回。
こちらも最終決戦の前段階で各キャラの思惑が錯綜するという繋ぎの回ではあるのだが、
対照的なのは「失ってはじめて、その尊さに気づく」というのをまったく奇を衒わず、描き切っている点だ。
徹底的にベタな表現とストーリー展開を突き詰めた作品だけあって、
そこへ至るまでの過程も予定調和ながらも盤石さを感じた。
世界に裏切られ、独善的な悪女となった王女の復讐譚で、同時に彼女が「愛の存在」に気付く物語でもあったのだ。
寄生獣」の新一とは対照に、本作の主人公アンジュは実に欲望に忠実な人間として描かれる。
人の欲望、欲求と言い換えてもいいが、は尽きることのないものだ。
生きる事に対してエゴイストであるからこそ、人は生の活力が異様に満ちた生き物でもあるし、
それが渦巻いているから人間社会が成立しているのだろうと思う。
アンジュも進むべき道にひたすら一直線な人間で迷いがないからこそ、
傍らにいつもあった大切な存在を見過ごしていた。
生に対する不安や恐怖感より、身近な親しい生命の喪失感が彼女にはダイレクトに響く。
この辺りも「寄生獣」と好対照だ。
死というやがて訪れる恐怖を拭い取るのではない。
互いに生きているという事実を確認するため、身を重ね合い繋がるのだ。
今、愛し愛される者たちがここに在って、ここに生きている。
それがアンジュにとって、唯一の幸せであり、愛であり、生きる意味(欲望)なのだろう。
愛という名の欲望で生きる世界に自らの道を切り開く彼女の力強さは猥雑でありながらも、純粋で美しい。
さまざまな欲望が渦巻く世界で貪欲にただ生き抜く、命の迸りがまばゆく輝くそんな作品だった。



4.Charlotte 第7話「逃避行の果てに」(8/16放送)

脚本:麻枝准
絵コンテ・演出:篠原俊哉
作画監督大東百合恵
《コメント》
麻枝准、「Angel Beats!」以来のアニメ新作。
最愛の妹を失い、荒んだ日々を送る有宇をただずっと見守るに終始する奈緒の構図が見事に決まっていた。
というより、作品の設定と標榜していたドラマががっちり噛み合ったエピソードだろう。
ここでの有宇は大切な存在に何もしてやれなかった事が惨めで自暴自棄になる。
最後の最後で人の道を踏み外そうとなった瞬間に奈緒が姿を現す。
このエピソードは
「大切な人に何もしてやれなかったクズな男が、それでも見守っていてくれた人によって救われる」話だ。
この7話と次の8話をもって、物語は作品の質すらをも大きく転換するが、
ノベルゲームの主観人物=男主人公=有宇という面では
ヒロインの存在によって救われる構図が首尾一貫している。
友利奈緒という本作のヒロインはクズな男を補正する重石のようなもので、
彼女が視認してくれるから、有宇は孤独と絶望から報われるというある種の免罪符であり、福音でもある。
肉親(本作では妹の歩未)が担っていた役目をヒロインが一手に引き受ける所に、
この作品の真骨頂があったように思う。
ボーイ・ミーツ・ガールという面では先に挙げた「寄生獣」と同じく、
男性メンタルの脆弱さを抉りながら、ヒロインの精神力の強さで補完する事で物語のカタルシスを生んでいる。
ゆえにこの話数のAパートにおける、有宇の自暴自棄な生活は男のサガというか本性のメタファーのようでもある。
生きる欲求は捻れ曲がるとどこまでも堕ちていく。
だから生きなければならない理由をどこに求めるのか。
──という命題を自覚的なのか無自覚なのか、麻枝准はずっと追い続けているように感じる。
問題なのはそこからさらに飛躍して、
最終的に生きる理由の見つかった有宇に聖人的英雄性を付加させてしまったのは痛手だった。
とはいえ、有宇という主人公の生きる方角が正しくヒロインに向いた瞬間を捉えた格別の回だろう。
この話数を手掛けた篠原俊哉が今年の夏季アニメにおいて八面六臂の活躍ぶりだったことも含めて、
記憶しておきたい



5.Classroom☆Crisis 第11話「それぞれの逆襲」(9/12放送)

脚本:丸戸史明
絵コンテ:西澤晋
演出:政木伸一
作画監督:白井英介、熊膳貴志
総作画監督倉島亜由美石野聡
《コメント》
丸戸史明初のオリジナルとして注目された作品。とはいえ、世間の評価は芳しくない結果になった。
霧羽ナギサと瀬良カイトというダブル主役制が半ば頓挫してしまったなど、原因は様々ある。
しかし、「Charlotte」と同じく男性の描き方にシナリオライターの特色がよく表れた作品だったと思う。
こちらは逆に「目的のために全てを犠牲にしたが報われなかった外道な男が救われる話」。
作品の舞台でもある企業の経営者一族にして、
辣腕高校生経営者の霧羽ナギサが初めて挫折を味わうというエピソード。
ナギサというキャラクターには霧羽一族への復讐劇が背負わされているが、
そこにもう一枚ドラマが隠されており、そちらの方が彼本来の目的でもあった。
あと一歩という所で、足元を掬われたナギサの絶望感は知る由もない。
ましてや重役という地位に上り詰めるために手を汚すことすら厭わなかったし、
現にクラスメート(とその所属部署の運命)をも裏切って、手に入れた場所にも拘らず孤立してしまう。
本作でも主人公を救うのは同じくヒロイン、瀬良ミズキだ。
ただ「Charlotte」の友利奈緒と彼女が一線を画すのは、
男性の情けないメンタルを背負うのではなく、受け止める点だ。
また引き合いに出してしまうが、より「寄生獣」の里美に接近したキャラ造形なのである。
何があったのか、今までにやってきたことはどうでもいい。
今、この時点において、挫折した男の心を受け止める支えとして受け止めるミズキの優しさ。
これを「母性」と言わずになんと言えばいいのだろうか。
寄生獣」は物語の一面で「母に庇護される息子」の物語から
「一人の『男(獣)』として立つ」物語へと変貌してゆく。
この「男性として自立する物語」という点で「ボーイ・ミーツ・ガール」が
夏の二作品で描かれたことが非常に興味深い。
どちらも「ヒロインに救われて、自分の生きる道を再確認する」という帰結なのもまた。
もちろん麻枝准丸戸史明が共に美少女ノベルゲームのシナリオライター出身というのも相俟って、
ノベルゲームの主観人物=男主人公のキャラクター性を再確認する流れも面白くある。
この点では両脚本家とも同程度の失敗をしていて、
自分の得意なフィールドでしか勝負できていない所が最大の欠点だろう。
Classroom☆Crisis」で描かれた物語の軌道は過去の丸戸作品のモチーフそのままで、
もう一人の主役、瀬良カイトが描き切れなかったことはこの作品の一番惜しい所だ。
個人的には作品自体が男性向けというより女性向けの趣も若干感じたので、
その辺りの齟齬も芳しくない評価の要因かもしれない。
しかし、絵コンテ・演出を担当された凄腕のベテランによって作り出された画面はシナリオの出来も相俟って、
ベタながらドラマの要所はきっちりと抑えた、非常に高品質にまとまったキレのあるエピソードだろう。


6.赤髪の白雪姫 #11「出会う…初めての色」(9/15放送)

脚本:赤尾でこ
絵コンテ:安藤真裕
演出:佐藤育郎
作画監督:玉置敬子、杉薗朗子
総作画監督:藤田しげる
《コメント》
近年に類を見ない位、丹念に、そして美しく「愛の告白」を描いた一話だろうと思う。
少女漫画原作なだけあって、先に挙げた夏の二作品と比べて、男女の関係性がよりフラットなのが特徴。
人が人と関係を結ぶという事は一見何気ないようだが、真正面から捉えると並々ならぬ事でもある。
この物語の主人公、白雪とゼンも「共にありたい」
、と双方が心から思えるほどに心を重ね合わせたから生まれた関係だといえる。
どちらかが一方の手を引いて走るわけではなく手を固く繋ぎ、共に歩む。
この作品に一番感じ入ることは「想い」だろうか。
物語の構図として身分違いの恋が描かれているが、
それをあまり感じさせないのはお互いがお互いをいつも想っているからだろう。
身分の差は埋められないからこそ、相手の役に立とう、相手の為を思おうという「想いの強さ」が、
彼女たちの障害を乗り越えさせているように見える。
つまり精神的な繋がりが白雪の拠り所にもなっているし、同様にゼンの拠り所にもなっている。
結ばれるべく結ばれる二人の物語ではあるが、そこをきちんと必然性を伴って描かれているのが最大の強みだろう。
白雪の前に跪き、手を取って愛の告白を正面切って口にするゼン、というたった1シーンの説得力の為に、
それまでのエピソードの描写を積み重ねた結果、生まれたカタルシスの素晴らしさは言うまでもない。
お互いの弱きを認め、いかなる時もその命ある限り、真心を尽くすことを誓い合う関係の強さ。
実は本記事の冒頭からどの作品でも語っていることはすべてそこなのである。
この世には男がいて、女がいる。性別も違うし、違う人間でもある。
しかし、関係を結んだ先には命が生まれる事もある。
繋がらなければ続かないものがあるというのを考えてしまうと、関係を結ぶことの強さは計り知れないものだ。
その点では白雪とゼンの関係は理想形とも言える。
互いを理解し、互いを想いあっている。中々に難しい事だ。
しかしそんな愛の結晶のような関係だからこそ美しく見える。
そんな愛の芽生えを優雅にかつリリカルに描いた安藤真裕監督、佐藤育郎渾身の一話だろう。


7.純潔のマリア APOCALYPSIS OMNIA VINCIT AMOR -最終話 愛は、全てに勝つ- (3/29放送)

脚本:倉田英之
絵コンテ:谷口悟朗
演出:谷口悟朗、渡邉徹明
作画監督補佐:河合桃子、菊池聡延、鈴木俊二、
佐々木敦子、井嶋けい子、栗田聡美、松本美乃、幸田直子、西村郁
総作画監督千羽由利子中田栄治
《コメント》
谷口悟朗監督久々の新作からチョイス。
百年戦争を舞台に戦争を嫌う魔女マリアの物語。筆者は原作も既読済み。
原作が魔女マリアにフォーカスしていた作品だったのに対して、
アニメのアプローチはより「百年戦争下の中世ヨーロッパ社会」にフォーカスし、
その上で魔女マリアをそこへどう組み込むのか。
オリジナルキャラクターの配置もその為に意図されたものだったように思う。
これは「社会」と「個人」の関係の話であり、「歴史」の話でもあり、
また「繰り広げられる今を生きる」物語でもある。
戦時下というきな臭い状況の中、どう「今を生きる」のかに焦点が当てられた作品なのだ。
魔女マリアはその力をもって、神(を崇める社会)と戦争に「反逆」していた。
「反逆」とは世界から背を向ける行為だ。彼女は孤独なアナーキストを標榜していたが、その試みは失敗に終わる。
しかし、そんな彼女を心配する友もいれば思い慕う相手もいた。同様に彼女を忌み嫌い、畏怖する者たちもいる。
社会は正しいか間違っているかの一辺倒に偏らず、双方の価値観が許容されるべき場である。
それこそが「平和」なのだ。
魔女マリアは自らのエゴで、戦争を無くそうとした。しかしそれは独りよがりな物に過ぎなかったのだ。
独りで出来ることは微々たるものだが、だからこそ共に歩む者や共同体の存在が欠かせず、
全員の考えを変えていくには長い年月と意志を繋いでいく事が必要だ。
そうして目の前の「現実」を生きた軌跡が「歴史」となっていく。
このエピソードのケルヌンノスの最後の言葉がひどく印象に残るのも、
過去と未来を接続する今が大事であるという解を得ているからだろう。
この世に存在するものが生の営みを行い、命を継承していく。
しかしそれこそが生命にとっての最大の命題なのだ。
手塚原作アニメを通過した、谷口監督が人間社会の在りようを「生命の営み」として語ったのが印象に残る作品だった。


8.日本アニメ(ーター)見本市 第35話「Casset Girl」(10/9公開)
日本アニメ(ーター)見本市
監督:小林浩康
脚本:榎戸洋司
絵コンテ:摩砂雪
CGI監督:鈴木貴志
CGI作画監督:松井祐亮
《コメント》
庵野秀明監督が立ち上げたオムニバス企画「日本アニメ(ーター)見本市」。選定話数はその最終話。
先に選定した「純潔のマリア」では歴史と人間の営みという大きな枠での継承が描かれたが、
この作品についていえば、もっと下世話に「オタク(アニメ)の歴史」の継承について描かれている。
オタクという人種が歴史上で確認されて、早40年近くになる(確認される以前にも当然いたとは思うが)。
第一世代ともいうべき人々が高齢者となる時代がやってきている2015年。
いよいよ積み重ねられた「歴史」をどう扱うべきなのかというサイクルに来ているのだろうと思う。
この作品で描かれている主題はまさしくそれなのだ。
過去と未来を繋ぐために、現在があって。未来を創るために過去の遺産を振り返る。
この作品の映像表現や設定プロットに至るメタファーにまで、
このメッセージが行き届いているといっても過言ではない。
かつてソフトはBD/DVDでなく、VHS、あるいはベータテープ(LDというのもあった)だった。
画面サイズも16:9ではなく4:3。
さらに言うなら、今はPC上で処理されている作業工程はすべて手描きのアナログ。
そう思うと遠くに来たものだと感じるが、それでもアニメの魅力だけは不変である。
本作も3DCGを駆使して制作されているが、摩砂雪の手掛けた絵コンテから作り出された画面のケレン味と熱量は、
かつての手描きアニメのそれに匹敵するものだろう。
弘法筆を選ばずという諺もあるように、どんなに技術や手法が進化しようとも、
最終的にそれらを扱って、映像を作り上げるのは人であるという事に他ならないのだ。
SHIROBAKO」でも描かれたが、アニメはあれだけ多くの人々が関わって制作されている。
それは2015年の現在も、遠い昔においても変わりない。
作品に多くの人の意志が込められているからこそ、大切にしていかなければならない。
決して良い事ばかりではなかっただろう。しかし積み重ねられてきた「時」を無駄には出来ない。
過去を知ることで未来への道標を繋げていく。
見る人も、おそらく作る人にも「歴史」を接続していく義務がある(と思う)。
それこそが「日本アニメ(ーター)見本市」の本懐だと筆者は見ている。
その点では、企画意図を見事に提示しているエピソードだった。
もちろん選定理由に榎戸脚本だからというのもあるが、
それを抜きにしても、今年の重要な一本。


9.団地ともおスペシャル「〜夏休みの宿題は終わったのかよ?ともお〜」(8/14放送)

脚本:小田扉(※原案)、山田隆司柳澤秀夫
絵コンテ:渡辺歩、内田信吾、西田章二
演出:阿部明日香、飯村正之、内田信吾
《コメント》
たまたま休みの日にふとTVのスイッチを入れたら、放送していたスペシャル版。
ともお達の夏休みの情景を丹念に捉えながらもあるキーワードがちらつき、物語全体に波及していくという作り。
そのキーワードとは「戦争」。今年は戦後70年である。
悲惨な過去をどう語り継ぐのか、あるいは「歴史」から何を学ぶのか。
作品は直接的に「事実」を語るのではなく、
この平成27年現在の日常において何気なく存在する「傷跡」、
当時を生き抜き、戦後の日本を見てきた人々の語り、
あるいは受験で扱われないからと言って日本近代史を教えてこなかった高校歴史教師の心残り、
さらにはともおの「敗戦記念日は悲しめばいいのか、喜べばいいのか」という素朴な疑問が、
ひと夏の風景とともに淡々と流れていく。
流れてくる画面の肌触りはマジカルエミのOVA「蝉時雨」を彷彿とさせる。
「蝉時雨」は在りし日の情景をノスタルジックな透明感で描いた傑作であるが、
今作はそれに匹敵するような質をトゥーンシェード3DCGアニメで成立させている。
純潔のマリア」では「歴史の当事者たち」をドラマとして描いていた部分があるが、
こちらは「過去を俯瞰する(しなければならない)人々」の何気ないドラマだ。
特に戦争反対だとか、決まり文句のようなメッセージを主張してるわけでもなく、
戦争があったという過去と現代人、またこれからの未来を生きる人間がそれをどう捉えていくのか。
ひとりひとりが心のどこかで思って、たまには考えてほしい。
また歴史が繰り返される時、語り繋いできた教訓が生きるはずだから。
そういう提案が投げかけられた作品だと思う。
後世に歴史、あるいは戦争があった事を語り継ぐ大切さを「団地ともお」なりに提示した一本。
渡辺歩監督の仕事としても刻み付けておきたい。


10.GO!プリンセスプリキュア 第45話「伝えたい想い!みなみの夢よ大海原へ!」(12/20放送)

脚本:成田良美
絵コンテ・演出:芝田浩樹
作画監督:赤田信人
《コメント》
最後は「今年」のプリキュア枠。
この話数の選定が一番難航した、というより半ば決め打ちで収めたようなような所もある。
というのも、今作の特色が個人的にはどうにも上手く感じ取れないでいたというが大きい。
もちろん作画は歴代上位クラスのキレをここまで保っているので、言うに及ばないのだが。
物語の方は過去作の再生産という印象がどうにも拭えなかったというのが素直な実感だ。
「味」を保つというのは大事なことではあるが、同じ「味」だと飽きが来てしまうのは明白で、
常に微妙な変化を繰り返しながら、「味」を維持してゆくのが肝要だろう。
つまり長期シリーズ作において、今作はどんな「色」を重ねてその先の未来へと繋げるのか、という問題だ。
様相が変わってきたのは第4クール目に入った辺りだろう。
選定の回はキュアマーメイドこと海藤みなみの「移り変わる夢」が主題のエピソード完結編。
前段階として、彼女に違う夢が芽生える第36話、新たな夢を見つける第44話とあって、
新たな夢を家族に打ち明けるまでの姿を描写している。
脚本はシリーズの屋台骨である成田良美。絵コンテと演出は36話と同じく芝田浩樹が担当。
最終クールに入ってから後期ED曲の「夢は未来への道」という題名の通り、
メインキャラの「未来に続く夢」という描きが顕著になり、それぞれの道筋が示されてきている。
ひとりひとりの持つ夢は異なるし、行先がすべて一緒という事はまず有り得ない。
いつかは別れる時が必ずやって来る。事実、42,43話の前後編できららが示した進路はそういう決断だ。
みなみもまた思い悩みながら、以前から両親に公言していた夢を打ち捨てて、
今の時点で彼女がやりたい夢を宣言する。
その時、流れたみなみの涙は硬質だがウェットなドラマを推し進めていた作品の味を発揮した瞬間だろう
自らの意志で未来への道を見定めていくのが、恐らく本作の「色」なのだ。
選んだ夢によって伴う、いつかやって来る「別れ」。
残り少ないエピソードでどこまで踏み込むのかわからないが、
その方向性で行くのならば大いに期待したいと思わせる内容だった。
余談だが、成田脚本的には「抑えていた自分の我を出す」点に前作との共通性を見出したくなる。
どこで自らの幸せに気付き、掴むのか?という所を愛乃めぐみのリフレインだと気付くとなかなか興味深い。
「夢を悩む三部作」としてみなみの逡巡を上手く活写した事と合わせ、最終クールの各話とともに
GO!プリンセスプリキュア」の魅力を感じ取れた一本だろう。


次点
日本アニメ(ーター)見本市第28話「ENDLESS NIGHT」
SHIROBAKO#23「続・ちゃぶだい返し」
冴えない彼女の育てかた #0「愛と青春のサービス回」
ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン第14話「スワン・ソング・サング・バイ・ア・フェイデッド・クロウpart2」
トライブクルクル#40「ハネルとジェイ」
Charlotte 第八話「邂逅」


《2015年の総括》
今年を一口に言うと「繋ぐ事」だ。
あるいは「ボーイ・ミーツ・ガール」というテーマが筆者の観測範囲だと目立つ年だった。
繋ぐものはいろいろあるが、
それはひとえにどこかしら「断絶」があるのだと人々が薄々と感じているからではないのかと。
人や歴史、価値観。
遠くになればなるほど、そこへ接続できる人がどんどんいなくなってるような感覚。
これだけ情報が溢れている時代なので、むしろたどり着けなくても是とされるし、
古いものは古いものほど淘汰されていく。
しかしだからこそ、先人の行っていたことを振り返らなければならないんだと思う。
温故知新という言葉がある通り、価値観はリサイクルできる。
新しいものを追うことも一方で大事ではあるが、今まで築かれてきたものを汲んで、
新たなアプローチを掛けることも大事だ。
そういう意味では「ボーイ・ミーツ・ガール」という物語形式にスポットが当たったのも必然の流れかもしれない。
王道的な強さを求められているというべきか。
ある意味、物語の王道というものを筆者を含めて人々は知っているようで知らないのかもしれない。
むしろ正確にこれだと捉えられている人はいるのだろうかと思うほどに実は曖昧な言葉だと思うのだ。
だからこそ、それを知る(前に進む)ためには過去を振り返って、
今という時に「生かせる」価値観を知る必要もあるし、
これから先、アニメや漫画のようなまだ生まれて「若い」創作の雛型が続く手立てにもなるのではないか。
それが人の文化や歴史を「継承」していくこと、なのではないかと感じ入るばかりだ。


《最後に》
いかがだったでしょうか。
今年は筆者が見てる本数も少ない中で、選ぶのに苦労した年でした。
なんというか前年またぎの作品から引っ張ってくる辺り、コレという決め手に欠けるというか。
この先、後から振り返って、この一年がどういう位置づけになるかはまだ分かりませんが、
なんとなく過渡期の一年だったのかなあという印象を今のところ持っています。
手描きアニメ制作へのこだわりと限界点がいよいよ飽和してきて、
3DCGアニメがいよいよそこに肩を並べる時代が来るのか。
来年の冬期はくしくも原作アニメ(亜人)とオリジナルアニメ(ブブキ・ブランキ
という3DCG作品の一騎打ちで幕を開けます。
まあ、それ以外にもいろいろな作品がありますが、来年はどんな年になるのか。
はたまたアニメ10選作れるだけの本数を見られるのか(笑)
やって来る新年も楽しめる作品があればいいなと思います。
といったところで、今年の話数10選はこんな感じです。
当ブログの一年については止まってしまっている企画もあるのでそれを反省しつつ、
地道にそれを消化していきたいなあと思います。まだ諦めたわけじゃないよ!
それでは今年一年もありがとうございました。
皆さんもよいお年を。