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みほとボコと愛里寿〜『ガールズ&パンツァー劇場版』

これから語る話は一つ、眉唾な与太話だと理解いただいて読み進めてもらいたい。

ガールズ&パンツァー劇場版」には新たなキャラクターが多数登場しているが、特に島田愛里寿は本編において、不思議と存在感を放っている。みほたちとは劇中で僅かに絡む程度で、会話も一言二言だ。しかし、彼女は大学に飛び級進学した才女であり、大洗女子に立ちはだかる大学選抜チームの大隊長として、なおかつみほの西住流と双璧をなす家元、島田流の娘という因縁を背負って、物語に大きく関与するのである。


ガールズ&パンツァー(GIRLS und PANZER)|島田愛里寿


けれど、お互いの事情は知る由もなく、ましてや肩入れするわけでもなく、ただただ立ち向かう相手/迎え撃つ相手というラインを最後までほぼ踏み越えないまま、物語は展開されてしまうのだからキャラ配置の匙加減としては絶妙な塩梅だろう。最後の最後でほんの少し、交差するまでは人間関係は形成されずに終始する。それでもみほと愛里寿の二人は物語に描かなくとも、強烈に結びついている関係なのだ。理由は二つほどある。


ひとつは最初に触れているが、お互いに戦車道の家元に生まれたという関係性。生まれる以前から家同士が強い因縁を持っていれば、本人たちの関係がどうであれ、その因縁に自然と引きずり込まれることは有り得るだろう。実際、その因縁によって映画本編で対峙する事になったわけだから、間違いではないはずだ。本人たちの交流はなくとも、彼女たちは「戦車道」で結びついていたというのは映画のテーマにまつわる箇所でもある。


もう一つは「ボコ」だ。包帯巻きのニクいクマ。もとい、TV本編でも出てきたみほの好きな変なキャラクター。映画ではまさかの大フィーチャーを受けて、テーマソング(パーク)まで作られている。威勢が良くて、正義漢だが弱い。不屈の精神の持ち主なのにいつも報われずヤラレるという珍妙極まりないキャラだが、愛里寿もまた熱狂的なファンであることが描写されている。(余談だがテーマソングの作詞作曲がまさかの水島努監督自身の手によるものであったのも驚きだった。)


二人の共通項として「ボコ」が背負っているものは言うまでもなく「七転び八起き」だ。どんな状況でも諦めず、何度でも立ち上がる姿に二人はシンパシーや可愛さを見ているのだろうと思われる。そういった泥臭さをファンシーさで包んでいる点では映画、ひいては「ガールズ&パンツァー」という作品の魅力やテーマへも直結したものだ。細部に神は宿るという事ではないが、一つのガジェットをとってみても作品の軸を感じ取れるという証だろう。


これらを踏まえて、もう少し掘り下げてみたい。みほと愛里寿がボコを間に置いた、一まとめの関係であるのは映画を視聴した者ならば、確信は得なくとも感じ取れるはずだ。だが、それは「みほと愛里寿」という単純な対比関係では恐らくない。共通項はあるが、お互いのキャラの背景はまったく異なっており、成立していないように見える。これは愛里寿のパーソナリティの大半が劇中では明かされていないのが一番の要因だろう。しかしキャラの情報量が少ないからこそ、愛里寿を「みほの鏡像」とする見方が出るのは難くないと言える。


では見方を飛躍させてみよう。みほと愛里寿、そしてボコ。この構図を改めて見つめ直すと、似た構図が水島努監督作品に存在しているのに思い当たる。2014〜15年に掛けて放映された「SHIROBAKO」(製作:P.A.WORKS)の主人公、宮森あおい、そしてミムジーとロロだ。ミムジーとロロはあおいの所持しているファッション・ドールとクマのぬいぐるみ。二人はあおいが葛藤を抱えた場面などで思ったままを勝手に喋り出す。いわば彼女の「心の声」である。



もちろん作品放映の時系列からすれば、TVシリーズ→「SHIROBAKO」→劇場版なので関連性を見出す事にはより検証する必要があるが、TV版から存在していたクマのぬいぐるみがキャラとして喋って動き出す点において、何かしらの符号性を見出したくなってしまう。とはいえ、この構図を当てはめてみると「みほ、愛里寿とボコ」の関係というはみほの「心象」になって見えてくるのも確かなのだ。


恐らく最初からみほの心には「ボコと愛里寿」が存在していて、映画では対峙する「記号」となって現れてくる。ボコは先ほども触れたように「不屈の精神」の体現だ。では愛里寿という「記号」が意味するものは何であろうか。劇中におけるみほの回想と重なる部分や、それこそもっとストレートに「戦車道への思い」なのかもしれない。どちらにせよ「鏡像」というよりは、みほの内に潜む「影」や「純真さ(深層意識)」が可視化された「記号」と見る方がよりスマートに感じられる。


また翻ってみれば、愛里寿にも同じことが言える。愛里寿の心にも「ボコとみほ」が存在すると言う仮定は、彼女たちが相互の関係であると考えれば容易だろう。惜しむらくは進行の都合上、彼女を描く時間がなかった事だ。が、それはまた「言わぬが花」でもある。背景が語られないから想像も膨らむ。よってファンの間で魅力が高まっていく。だからこそ想像を巡らす事は島田愛里寿の魅力をより高めてゆく事でもあるはずだ。


簡単にみほとボコと愛里寿の関係性を見てきた。お互いに内包する心の端を共有してる関係だと考えると、最後の場面で愛里寿がボコの限定マスコットを「勲章」として渡しているのは、彼女たちの繋がりを象徴した描写にも見えてくる。前回の記事内容ともリンクするが、映画に描かれたみほの「ゆらぎ」が愛里寿へ反響する事で対決構図が生まれている。となると、物語の裏側ではみほの葛藤が軸になっていたという証拠にもなりえるのではないだろうか。


あとはここまで読んでいただいてもらった諸兄のご想像にお任せしたい。そう意図して作られているかどうかはともかく、ファンの遊び心をくすぐる仕掛けだと思えば想像の余地も広がって、また別の角度から楽しめるのではないだろうか。冒頭で言った通りこれは根拠のない与太話であり、それ以上でもそれ以下でもないことを明記して、終わろう。