In Jazz(はてなダイアリー版跡地&元『My Favorite Things』)

ジャンル不問で好きなものを最小単位で語るブログ

音楽鑑賞履歴(2017年12月) No.1183〜1196

新年明けましておめでとうございます。
とか何とか言いつつ、三が日を過ぎてからの更新なのであんまり謹賀新年という趣でもありませんが、月一恒例の音楽鑑賞履歴です。
14枚。
まだ一昨年購入分を消化しきってませんが、今年もぼちぼち聞けていけたらいいなと思います。
今回はデヴィッド・ボウイ特集。亡くなる二、三ヶ月前に衝動的に買い漁ったのが虫の知らせだったかどうかはさて知らず、今年で三回忌です。いいタイミングで聞けたのかな、とは思います。この先も次々と彼岸に旅立つ人が多くなっていくんでしょうけども、それはそれで残していったものをこうやって聞き返していくのだろうなあと。今年はいったい何が待ってることやらです。
というわけで以下より感想です。

Space Oddity

Space Oddity

69年発表2nd。レーベルを移籍しての再デビュー作。晩年亡くなるまでのデヴィッド・ボウイという類稀なる個性の始まりともいえる一枚。とはいえ、後のグラムロックな趣はまだなく、どちらかというとアシッドフォークやプログレ的な寓話性や叙情性に漂うアイロニックなサウンドが特徴的だ。
フォークといっても、アメリカンなプロテストソングというよりは、英国らしいトラッドソング的な趣が強いし、そのサウンドテクスチャーやメロディラインからはやはりビートルズの影響が非常に色濃く感じられる。特に本盤のポップな質感はまさしく、といったところだ。とはいえ、音は比較的マニアック。
曲の陰影が濃い分、物憂げな儚さも強く、その芝居がかった展開に個性は見出せるか。その沈痛な叙情は後の作品にも繋がっていくと思うとなかなか興味深い作品だし、最初の代表曲ともなった表題曲はこのアルバムを象徴しているものだろう。再出発にはこの上ないスタートを切った良作だ。
余談だが、演奏メンバーにはかのリック・ウェイクマンが参加しているが実は本作がレコードデビューとなる。ほかにもペンタングルのメンバーなど実力あるセッションミュージシャンも参加しているし、なにより長らくの盟友となるトニー・ヴィスコンティとの最初の一作であることも記憶しておきたい。

70年発表3rd。前作の叙情系アシッドフォーク路線から、ロック的なアプローチにシフトした作品。本作から盟友、ミック・ロンソンがバンドに参加したのもあり、当時勃興しつつあったグラムロックの夜明けを感じる。ショービズ的な華やかさが、ロックの猥雑さを絡み合う瞬間を収めた内容が興味深い。
時期を前後してロック・オペラなるものも確立しているが、今思えばグラムロックもそういった流れの一つだったのではと思う。ジャケットの女装したボウイの姿もあるように虚飾の中でシアトリカルにキャラを演じて歌うというフォーマットは演劇的でもあるかと。事実、楽曲もミュージカル要素も帯びている
アルバムのコンセプトに向かわず、演者(プレイヤー)に向かったのがグラムロックであるとすると、本作の以降のボウイの活動も頷けるものがある。楽曲の方はそういった小劇場的な華やかさが粗野なハードロックを優雅に仕立てているし、前作のプログレ的な叙情性も匂わせていて、ドラマティックな音作り
ただそういった演者のファッショナブルな上っ面だけが持て囃されたせいでブームとしては急速にしぼんでゆくわけだが、グラムロックの本質を捉えていたのはボウイだけかもしれない。そういう点では新しい表現を切り開いた一作ではあるし、今聞いても出来の良さは変わらないアルバムだろう。

Aladdin Sane

Aladdin Sane

73年発表6th。前作に英国特有の叙情的サウンドが残っていたのに対して、よりブルージーとなって、アメリカンな趣が強くなった作品。しんなりウェットだった音がからっと乾いた音に変貌している。一方で退廃的な雰囲気はさらに濃厚になり、グラムロックコントラストは過激になった印象を受ける。
ケバケバしく猥雑な印象と絡まり、8ビートのベーシックなロックンロールがボウイの個性と場末のミュージカルハウスの爛れた雰囲気とでエキゾチックかつシアトリカルに鳴り響く。叙情性はあまり感じられないがその芝居がかった感触はこの当時にしか生まれ得ないものだろう。
前作と比べても、作風は様変わりしていて、ストーンズのカバー曲でもある8に象徴されるように虚構的なスターよりなにかしらの生々しさを伝える一枚になっていると思う。当時のボウイの勢いと個性の眩さを感じる、ドラスティックな一作。ジギー・スターダストの一年後に出たと思えば、それも驚異的だ。

Diamond Dogs

Diamond Dogs

74年発表8th。ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を元にしたコンセプト色の強いアルバム。同作を原案としたミュージカルも計画されたそうだが、原作側の強い拒絶があったために、頓挫している。結果的にグラムロック期の締めくくりとなった作品に聞こえるか。
管理社会の恐怖を描いた近未来小説を原案としているのもあり、アルバム全体が非常に退廃的な趣と閉塞感が強く感じられる。それが翻って、ボウイ自身の「虚構のロックスターを演じ続ける」事への行き詰まりが現れているようにも感じられる。それがこのアルバム独特の息苦しさにも繋がっていそうだ。
ここで奏でられるロックンロールに纏わりつくのは閉塞感であり倦怠感であり、疲弊感だ。空回りしているというわけでは必ずしもないが楽曲の質とボウイの歌唱力が微妙に噛み合ってない。その微妙なズレがアルバムの魅力になっているが、このいびつさがグラム・ロックの完成型であり終着点なのが興味深い
グラムロック自体が「現実における居心地の悪さ」を表現したものであるならば、このアルバムはまさしく「居心地の悪さ」を具現化した作品であり、この気持ち良くならない感じこそがグラムロックを象徴しているのではないかと思う。そういう点では完璧にならなかったからこその完成度というべきだろうか
またこのアルバムから、晩年にまで続くバリトンを意識したような呻く低音ボイスが聞けるようになっている。そういった点でも過渡期の作品でもあり、ひとつの終焉を描いた作品のように思う。誰しもに推せる名作ではないがターニングポイントになった作品だろう。猥雑さがクセになる。

STATION TO STATION

STATION TO STATION

76年発表10th。アメリカ時代の最終作。前作で提示したプラスティック・ソウルの発展型として「白人がいかにして黒人音楽に近づけるか」というコンセプトを元に作られた。と、同時にこの時期に主演した映画「地球に落ちて来た男」の影響も出ているとされる。SFとソウルが奇妙に背中合わせなのが妙味。
コンセプトは掲げられているが、かつての強烈さは減退し、アルバム全体の雰囲気や楽曲は以前より洗練されている。一方で、自覚的にソウルやファンクリズムを取り入れているのが目を引く。黒人のファンキーなグルーヴをどこまで身につけられるかの実験のようにも感じられ、試行錯誤してるのが目に浮かぶ
とはいえ、ボウイの個性は隠そうとも隠しきれない程には独特であり、どんなジャンルをやってもボウイらしくなってしまうのが強みでもあり弱みでもあるか。今にして思えば、この時点で表現手段としてのロックに限界を見ていたのではないか、という見方も出来なくはない。質感は古いが、現代に通じる点も
ロックを何を結びつけて、強度を高めるという試行錯誤は後のオルタナのことを考えれば、不思議ではないアプローチではあるし、本作の後、ベルリン時代に入り、ポストロック的な指向を示すわけだから、ある種先駆的でもあると思う。ついでにいえば、本作は80年代で大ブレイクする布石でもある。
前作と本作で繰り広げられる黒人音楽へのアプローチがダンスミュージック、ひいてはポップミュージックへと繋がっているわけで、歴史的に見ていくと後の作品においてのカルトスターからの「転向」は必然を伴っているようにも感じるのが興味深い。これもまた過渡期ではあるが、重要な布石を打った一枚だ

Low

Low

77年発表11th。前々作からのアメリカ時代で(むしろそれ以前より)ドラッグ漬けの日々を送っていたボウイが脱却を図るため、心機一転してベルリンへと赴き、作られたアルバム。いわゆるベルリン三部作の第一作目で前半がヴォーカル曲、後半がブライアン・イーノと共作したインスト曲という実験的構成。
この構成は次作にも引き継がれるが、サウンドクラウトロックやジャーマンテクノに影響されたダークかつ硬質な音で前作までの黒人音楽に影響されたものとは一変している。印象としてはジョン・フォックス時代のウルトラヴォックスだが彼らの1stより本作の方が発売が早い。
いわゆるジャーマンテクノ的な静寂とデカダンが英国的美意識と繋がり、ヨーロッパ的な耽美サウンドと結実していく様子が本作で窺えるのが面白い。そしてそれがそのまま、パンク/NWサウンドとなっていくのだから、この当時のボウイの審美眼が鋭かったことがよく分かる。
本作より始まる、ベルリン時代はボウイのキャリア的にもかなり特異点な時期というのもあり、以前のキャリアから断絶された無機質な音は賛否がある事も頷けるがこの年より吹き荒れるパンク/NWの大波にいち早く呼応してるようにも感じられるし、既にポストパンク、ポストロックの領域にも踏み入れている
次作はロック色が強くなるが、薬物療養によるデトックスの影響か、ジャーマンテクノのアンビエントな部分によるものなのか、サウンドが漂白された無国籍サウンドである事からもかつての姿をリセットするために必要な過程だったのかもしれない。時代の狭間で新たな脱皮を果たそうとする瞬間を捉えた一作

Lodger

Lodger

79年発表13th。ベルリン三部作の最終作。過去二作のボーカル曲とインスト曲が半々の構成とは異なって、本作は全編歌もので構成された一作。この為、ベルリン時代の作品を三部作と見なさない向きもあるが、やはり通して聞くと連関しているように思う。ベルリン時代では一番明るいポップな作品なのも注目
というのも、ボウイがベルリンに赴いたのはドラッグ脱却を目的にした療養が側面としてあることを鑑みれば、アルバムの雰囲気が盤を重ねるごとに明るくなっていくのも理解は難くない。むしろ過去二作と比べても、洗いざらい清算したような、抜けのいい音が響くのが本作の特徴だろう。
だがそれ以上に注目すべき所は、この時点で「サードワールド・ミュージック」を取り込んたロックを提示してしまっている点に尽きるだろう。特にレコードのA面に当たる1〜5にその傾向がとても顕著であり、今までになくエキゾチックなサウンドが繰り広げられている。時代を考えるとあまりにも先駆的だ
おそらく過去二作以上にブライアン・イーノが曲作りに関与しているのも、そういった要素を取り込むため、のように感じられるし、この時点では目が向けられなかった地域の音楽を取り上げていることが実験的といえば実験的。この流れが顕著になるのが80年代後半だから5年以上早い。
が、ほぼ同時期から民俗音楽を積極的に取り入れることになる、ピーター・ゲイブリエルとは異なって、ボウイは本作のレコードB面にあたる6〜10で過去に繰り広げたロックや黒人音楽のポップさも振り返っている事に心身の復調も窺える。そういった点では過去の清算と実験的部分が入り混じった作品だ
ベルリン時代は心身のデトックスを行ったためか、今までの音が漂白され、真っ白な状態で新しい要素と今までの要素を合わせる過程にあったように思う。特異なのはその過程が時代とリンクしていた事で高い音楽性が表出したことだろう。そういう意味ではボウイが自身の70年代にピリオドを打った一枚だ。

Expresso 2

Expresso 2

78年発表9th。ピエール・ムーランズ・ゴングとしては第三作目。前作に引き続き、カラフルに降り注ぐパーカッションの響きが桃源郷的な夢心地に陥るハッピーなジャズロック。ゲストにストーンズのミック・テイラーやヴァイオリン奏者として有名なダリル・ウェイ。ホールズワースも本作ではゲスト参加
グロッケンやマリンバの滑らかなメロディとリズムが主体となって、ゲストたちの演奏がそれを彩るように構成されており、聞き方の角度を変えれば、宗教的な陶酔感も滲み出ているようにも感じる作りだ。この辺りはヒッピーであったデヴィッド・アレンの精神がバンドの血肉化しているのもありそうだ。
ミニマルでカラフルな躁的響きの中にシニカルでクールな感情が挟み込まれているのも興味深いが、全体の雰囲気はサイケであり、過去のキャリアを踏襲しているのがよく分かる。前作の焼き直しサウンド、というのは否定できないがこれはこれで佳作だろう

Pin Ups [ENHANCED CD]

Pin Ups [ENHANCED CD]

73年発表7th。ボウイが青春時代をすごした64〜67年ごろのUKロックシーンの人気曲をカバーした企画アルバム。同時期にボウイはイメージが肥大化しすぎた「ジギー・スターダスト」という存在の封印とライヴ活動の中止を宣言し、ひとつの区切りをつけた中で作られた作品でもあり、その気負いのなさが顕著だ
自らの作り出したキャラクターを「演じる」事より開放されて、何のコンセプトもテーマもなく、お気に入りの曲をただカバーするだけ、という内容なのだがその無邪気さというべきか奇の衒いの無さが功を奏したのか、非常に抜けのいいポップな作品となっていて、興味深い。同時に地力の強さも感じられる。
ヤードバーズや初期のピンク・フロイドをやっても、ザ・フーキンクスを歌っても、ボウイの歌にしか聞こえないのはご愛嬌だが、単なるカバーに陥っていないのもその個性に他ならない。何より楽しそうに歌う様が感じ取られるのもこの作品の明快さに繋がっているのは間違いない。
自らのグラムロック期に区切りとつけた後、その幕引きが次作となるわけだがそれを考えても、箸休めな企画ともいえる本作に対して決して手を抜かない姿勢には生真面目さも垣間見えるか。ボウイの個性と魅力がよく表れたポップな良作。初手としてもお勧めできる一枚かと。

Young Americans [ENHANCED CD]

Young Americans [ENHANCED CD]

75年発表9th。自身のグラムロックに幕を下ろし、アメリカのフィラデルフィアソウルミュージックの聖地のひとつ)で制作されたアルバム。グラムロックのシアトリカルな趣とは打って変ってライトなタッチのソウルミュージックが主軸となっている。が、同時におどろおどろしいニュアンスを含んだ作品だ
ソウルミュージックを基軸にした内容ではあるのだが、その捉え方は非常に独特で、ボウイ自ら「プラスティック・ソウル」と呼んだように、非常にあっさりとした、なおかつソウルフルな感触も残る、不思議な質感が盤全体を支配している。というのも本作がグルーヴィさやファンキーさより程遠いからだ。
ソウルやファンク、R&Bにおける粘っこいボトムラインのリズムが本作では極めて直線的というかロック的な淡白なビートであるために、あっさりはしているが深みには欠けるというものになっているゆえだろう。そのぎこちなさが本作の特徴といえば特徴でとても興味深い部分でもある
ぎこちなさ、つまり違和感があって、腑に落ちないところにもリンクしているのだが、まさしくそれこそがグラムロックの所在無さと重なっていて、音楽的にもボウイの音楽遍歴的にも地続きであることが証明されているように思う。言葉は悪いが「模造品」っぽい如何わしさが本作の楽曲には感じられるのだ。
フェイクっぽいというとそれまでだが、本作はそれを拠り所にしているように思う。模造品らしい軽薄なソウルミュージックとなっている部分にボウイらしさを感じるのは面白い所だ。そういう点では実験作の向きが強い佳作だろうか。このソウル路線は次作に引き継がれ、より洗練されることになる。
また本作は制作中にジョン・レノンとのセッションがあった事でも知られ、その結果が共作曲の8で全米1位となっているし、ビートルズカバーも収録されている。また後にソロシンガーとしても活躍するルーサー・ヴァンドロスも参加しており、華を添えているのも注目したいところ。

15年発売2nd? 故・岡崎律子と現在はmeg rock名義での活動が主な日向めぐみのユニットが04年に発売したアルバムをリマスター&増補した2枚組アルバム。このユニットが残した楽曲はすべて収録した、10周年記念盤の趣も感じられるか。内容の方はメロディがギュギュっと詰まった密度の高いもの。
ユニット名自体はパンクのメロコアが由来らしいが、楽曲の方はHM/HRのメロディアス・ハードの方を思い浮かべる、キレのあるサウンドに、渋谷系の影響がある柔らかでファンシーなメロディやJ-POPや歌謡曲的な展開を見せる、ミクスチャーなものがそろっている。何よりメンバー二人の歌声の個性が際立つ。
ウィスパーボイスな岡崎律子と明快なハイトーンの日向めぐみコントラストもあって、非常に陽的な雰囲気に包まれた内容となっている。惜しむらくは一曲ごとの密度が濃いのでアルバムとしての質量がかなりヘヴィであることか。2枚目はトリビュート的な新曲と未収録バージョンを収録。魅力ある良作だ。

ロートスの果実

ロートスの果実

84年発表4th。ブレイクを果たした一枚。端的にいえば、ライトメロウでブギーなシティポップ。が、もう少し奥に掘り下げてみれば、ラテンミュージックを基調としたトロピカルなサウンドに当時のエレクトリックブギーの質感が重なっている所がとても歌謡曲的でもあり、一方でロックには程遠い感触が独特
ぱっと見の印象ではアイドルではあるが、その実、シンガーソングライターであるところが一線を画している点であり、アルバム全体に溢れるリゾート感を演出してるのは編曲家に拠る部分も強いが彼女自身であることも見逃せない。この熟れた濃密な雰囲気が堪らない充実の名盤だろう。ザ・80’sサウンド

新呼吸(初回生産限定盤)

新呼吸(初回生産限定盤)

11年発表4th。ミニアルバム2枚の実験的内容を経て、楽曲全体の精神年齢が上がった印象を受ける作品。若者の匂いを残しながら、成人の落ち着いた趣も感じさせる。まだ青臭く、達観は出来ない、そんな微妙なフェーズに立つ青春像を描いていたサウンドを送り出しているように思う。10代というよりは20代。
従来のサウンドを発展させている一方で、テンポを落としたり、アコースティックやパーカッションなどを入れていて、若さによる勢いより、10代にはない余裕とビターな味わいと織り交ぜているのが自然と歌詞にも反映されている。若さに頼らない深みが滲み出た意欲作。未成年には少し早い、翳りがある。

二十九歳

二十九歳

14年発表5th。1曲目のマージービート的な王道イントロに導かれて始まる、ロック色の強いアルバム。以前の線の細さを感じさせたバンドサウンドが一転して、とても筋肉質で分厚さを感じる骨太な音になっていて、オルタナティヴさをより高めた内容となっている。全体に芯が太くなった力強さを受ける。
身が詰まったというか、肉が付いたというか。取り入れているジャンルも以前に増して多様になった感が強く、ライムスターのコラボ曲などバンドが拡張してきた幅を一気に開花させたような、ひとつの成果を感じさせる。質量ともに大ボリュームの充実作だろう。盤を重ねるごとに成長しているのは驚異的だ。

Hunky Dory

Hunky Dory

71年発表4th。プログレ的な叙情と戯作的なイメージにソウルミュージックが散りばめられた、万華鏡のような一枚。本作からは全米初ヒット曲も出ており、そういったポップな一面も垣間見せている。とはいえ、一曲ごとに目くるめくように印象とサウンドが変化していくのが面白い。非常に70年代の音。
というより、冒頭に始まる代表曲「Changes」に掲げられたようにこのアルバムのコンセプトは「変化」なのだろう。ジギー・スターダストという「役柄」を見つけるまでの過程というか、パーソナルからコマーシャルに至るまでボウイが多種多様な「顔」を見せていくし、それらを奔放に演じ分けていく。
その為、アルバムとしてはまとまりがない感じもなくもないが、「演じる」事に彼のグラム・ロック感があるとするならば、このアルバムはありとあらゆる可能性を試しているように思うし、結果的に後のキャリアを開拓していく「種蒔き」だったように思う。ボウイの個性がさらに花開く直前を捉えている。
ジギー・スターダストもいれば、アメリカ時代のソウルフルな趣も、ベルリン時代の前衛的な姿も、はたまた80年代におけるポップスターのボウイもここには詰まっているし、そういった固まりきる前の個性のカオシックな魅力が満ちた一枚になっているのだと思う。キャリアにおいての最重要作だろう。

話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選

さて、今年もやってまいりました。話数単位で選ぶ、TVアニメ10選です。
「話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選」参加サイト一覧: 新米小僧の見習日記
毎年、放映されたTVアニメの中から話数単位で面白かった回を選ぼうという企画。
新米小僧の見習日記さんが集計されている、年末の恒例企画です。大まかなルールは以下の通り。

ルール
・2017年1月1日〜12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。


本ブログは7回目の参加です。なお過去の10選は以下のリンクから。

話数単位で選ぶ2011年TVアニメ10選 - In Jazz
話数単位で選ぶ2012年TVアニメ10選+α - In Jazz
話数単位で選ぶ2013年TVアニメ10選+α - In Jazz
話数単位で選ぶ、2014年TVアニメ10選+α - In Jazz
話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選 - In Jazz
話数単位で選ぶ、2016年TVアニメ10選 - In Jazz

筆者としては「記録を残す」という点で、企画に参加してます。この年にはこんなの見てたんだなあと思い返したりも出来ますしね。また一年の総決算として、参加しやすい企画というのもあります。

筆者の10選をコメントを添えつつ、紹介していこうと思います。
なお地上波放映日も明記しています。なおスタッフ名等々は敬称略です。


《話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選》
1.つぐもも 8本目「ある日の加賀見家/モテモテフレグランス」(5/22)

つぐもも VOL.4 [Blu-ray]

つぐもも VOL.4 [Blu-ray]

脚本:倉谷涼一
絵コンテ:玉川真人
演出:宇都宮正記
作画監督:横田和彦、北村友幸
総作画監督:中原清隆、桜井正明
《コメント》
サイレント日常劇と惚れ薬トラブルラブコメの二本立てエピソード。
実は絵コンテと演出は3年前の話数10選で取り上げた「プピポー!」第6話と同一スタッフ。まあ自分の好みが変わってないだけかもしれないけども。先の話数ではショートアニメの短い尺の中で連続ドラマのような演出で密度の濃いエピソードを組み立てていた。今回はAパートBパートで別エピソードという構成の中で、それぞれ特色の違った演出してて興味深い作りでしたね。特にBパートのエピソードをゾンビパニック的なホラー仕立ての演出にしていた妙味が面白かったなと。エロとホラーの相性がいいのもあってお見事でした。
作品自体はAIC作品調ラブコメの趣があって、気軽に楽しめたのが良かった。今年は同じく3年前に取り上げた「愛・天地無用!」に参加されていた本作の監督、倉谷涼一さんにこの話数の演出、宇都宮正記さんに「亜人ちゃんは語りたい」監督、安藤良さんと注目していた方々がキャリアを積まれていたのが楽しかった一年でもありました。


2.覆面系ノイズ ♭03「どうしても、いますぐ」(4/25)

脚本:赤尾でこ
絵コンテ・演出:樋口聡
作画監督:中野圭哉
《コメント》
エモーションにエモーションがぶつかり、重なり合う。
少女漫画原作でバンドもの。となると当然、恋愛も絡んでくるのだがそれ以上にCOALTAR OF THE DEEPERSNARASAKIさんを主軸にしたバンド楽曲の質の高さに目を見張るものもあって、そちらも存分に楽しませてもらった作品でもある。同時に主人公、有栖川仁乃を演じる早見沙織さんにここまで声を歪ませ、叫びを振り絞させるのかという演奏シーンもあったり、少女の行き場のない衝動がノイジーなオルタティヴロックによってエモーショナルなムーヴとなっていたのが良かった。
選出話数はクライマックスの情動のぶつかり合いに唸った。精神的なトラウマで歌うことの出来ないニノの幼馴染、ユズの「声にならない」歌にニノの力強い歌が雨の降る屋上で重なり合うドラマティックな演出が際立って良かった。この回を担当された樋口聡美さん、アニメーターとしては中堅のキャリアですが、演出家としてのキャリアはまだ浅い方なので、今後が期待されます。


3.Just Because! #01「On your marks!」(10/5)

脚本: 鴨志田一
絵コンテ:小林敦
演出:須之内佑典
作画監督:吉井弘幸 中野圭哉
《コメント》
さまざまな「空気」の変化を徹底して捉えることに努めた作品だったように思う。
高校最後の冬を舞台に、登場人物たちの定まりきった「進路」へ一石投じるように転校生がなんとなく一人。物語はそんな些細な出来事を皮切りにして、繊細に動き出す。ここでいう「空気」はもちろん「空気を読む」の「空気」。画面には見えない「感情の細波」が重なって、交差する。その為に微細な表情を可能な限り描き、ロングショットで人物を捉え、画面上の言葉と動きで「人のなり」を表す。アニメという「物語と画面」に漂う空気を掴もうとした意欲的な映像だった。
転校生という「一石」が投じられたことによって、波紋が連鎖していく。そうやって重なった動きが映像となって現れた時、見た者の心に「感情」が生まれるわけだがそれが一番上手く画面に込められていたのがこの話数だと思う。「in unison」のメロディが鳴り響く中で人物たちの行動が重なる一方、一人だけ綻びがあるのも誠実な作りだと感じた。最終回を見た後だと、物語の始まりと終わりが対になっていてより「雰囲気(空気)」が変わったことに気付けるかと。


4.冴えない彼女の育てかた♭ 第10話「そして竜虎は神に挑まん」(6/16)

脚本:丸戸史明
絵コンテ:亀井幹太
演出:大橋一輝
作画監督:ini、吉田優子、石田一
総作画監督高瀬智章、栗原優・福地友樹
《コメント》
斯くして相反する二人は愛ゆえにお互いの手を取る。
個人的に今年の百合指数マックスな画面はこれに尽きるかと。なんだか本筋そっちのけで、詩羽先輩と英梨々の関係を掘り下げるだけ掘り下げてくれたのに対して感謝しかないというか。仲のすこぶる悪い二人が共闘するために、お互いを認め合う(性格の相性が良くないだけで、作品はハナから評価していたけども)展開がとても良かった。冴えカノの二期は1話(※0話ではなく)から彼女たちの関係が裏テーマで扱われていた事が、10話での爆発が繋がったのなあと。
翻って、本命になれないヒロインたちの処理としてはNTRに近い形でもあるんだけど、倫也を慕っているからこそ「仕事」を選ぶ感じが二人の関係性が高まっていくようにも思えて、良さしかない。その彼女たちが立ち向かうべき「障壁」としての紅坂朱音を演じた生天目仁美さんの演技も素晴らしかった。厳しい荒波に立ち向かうがごとき冬の情景も彼女たちの感情に重なって、堪らない話数でした。


5.ネト充のススメ 第8話「一歩前へ踏み出した」(11/28)

脚本:山田由香
絵コンテ:田中雄一
演出:橋口淳一郎
作画監督:南伸一郎、今橋明日菜
総作画監督:山田史
《コメント》
森子と桜井、現実とネット。お互いの存在が重なった時、改めてその先に踏み出される一歩。
17年秋クールアニメは、個人的に「作画カロリーを抑えながら、画面を演出する」作品が目立っていたという印象。本作もそういう点では非常に職人的な画面設計が印象的で、情報と作画のバランスが細部に渡って丁寧だった。全体には小品的な域を超えなかった佳作ではあったが、その食い足りなさも含めて、ライトなノリのドラマ志向で気軽に見られたのも大きな要因。なんだかんだで視聴時は続きが一番気になった作品ではあった。
いい塩梅、というに相応しい作品で下手な足し引きをせず、脚本の良さを作画が下支えしていた。行間の地味な芝居を逃げず、丁寧に表現していて「神は細部に宿る」とはこのことか、と思わされる。きちんと作品が煮含まれていて、何気ない良さだったなと。物語の方では「実は」00年代以降の物語スタンダードとなっている「電車男」の良さをシンプルに咀嚼した、小気味いいフィクションだったと思う。とかく全体の雰囲気や画面作りに匠の技を感じた作品。森子と桜井がお互いの心の隙間を埋めあっていた、という丹念な演出が光る話数だったかと。


6.プリンセス・プリンシパル 第2話「case1 Dancy Conspiracy」(7/16)

脚本:大河内一楼
絵コンテ:詩村宏明
演出:伊部勇志
作画監督:大高雄太、金丸綾子、青木昭仁
総作画監督:鶴窪久子
《コメント》
プリンセスとアンジュの邂逅にして再会。そして物語は始まった──
女子高生スパイアクションスチームパンク、という一歩間違えばバランスを崩しかねない組み立て方の作品において、一番「スパイしていた」一本。任務の緊張感と駆け引き、あるいは作品の背景説明、キャラの相関関係などなど、これらの歯車が噛み合った、二転三転する展開が面白かった話数で作品の魅力が伝わるという意味でも勝負の一本だった。その上で、イギリス王室の姫を仲間に引き入れるという展開、そのもう一段上を見せていく重ね方も面白い。
惜しむらくはウェルメイドに進みすぎて、物語展開的には「スパイもの」として波風があまり立たなかったのが残念といえば残念。欲を言えば、魅力のある世界をもう少し掘り下げて欲しかったというのと、任務に関わる所でもう少し苦味や痛みを出して欲しかった部分もあるが、そういう辺りからも選出話数における演出の切れの良さを買いたい一本。


7.ACCA13区監察課 第8話「翼を広げた王女と友のつとめ」(2/28)

脚本:鈴木智
絵コンテ・演出・作画監督:小嶋慶祐
《コメント》
個人的に原作ファンとしても納得の傑作回。リアルタイム視聴してて、前の7話から原作未読視聴者の反応をニヤニヤして眺めてました。1クールで作品の終わりまで描くとなった時、物語の全容が明らかになる一番のターニングポイント回になるのは自明の理だったのもあって、どういう風に演出してくるかが楽しみだった話数でもあります。その点では見事期待に応えてくれた回、という印象。小嶋慶祐さんによる演出が良かったというのもあるけど、この回においては色彩設計もお見事だったと思う。
淡い寒色系の主線を使った過去回想のシーンなど、ノスタルジーとして語るのではなく、「在りし日の事実」を「過去」として語る色の組み立て方はこの話数が抜きん出ていたように思う。物語全体からしてもそういった色彩の使い分けと背景美術の上手さが非常にマッチしており、作品を根幹から支えていた。同時に脚色と構成も非常に巧みで、原作漫画の魅力を上手く抽出したアニメ作品のお手本という印象で映像化に恵まれた作品でもあったのかなと。音楽を担当された高橋諒さんの劇伴BGMや主題歌も良かったです。


8.魔法使いの嫁 #11「Lovers ever run before the clock.」(12/16)

脚本:高羽彩
絵コンテ:なかむらたかし
演出:二宮壮史
作画監督:高部光章、井川麗奈
総作画監督加藤寛崇
《コメント》
古き魔法使いリンデルから語られるエリアスの過去。それを聞いたチセは、魔法の杖を作りながら何を思うのか。
悔しいが、白旗を上げざるを得ない。むしろここまでやられてはぐうの音も出ないというか。なかむらたかしさんが自身の監督作「ファンタジックチルドレン」以来、実に13年ぶりのTVアニメ演出したのにまず驚き。それがこの作品であるということに個人的には複雑な感情が入り混じるが、4、5話の絵コンテ参加に引き続き、10、11話絵コンテと、1エピソード前後編(これはシリーズ全体の構成でもある)でたっぷりと魅せられてしまった。
4、5話の対比としての10、11話となっていて、男女の関係、ひいてはエリアスとチセの関係を掘り下げたものになっている。愛こそ極上の「狂気」であり、人はそれに束縛、支配される(4、5話)に対して、彼岸の際に立つエリアス(人でも妖精でもない中途半端なモノ)とチセ(生きる事への執着がおよそない人間)がお互いの愛を確認できるか(10、11話)、という「変化と成長」を描く物語という点においては十全過ぎるほどの演出だったかと。
とにかく自然物の動きや生活描写、情景を登場人物が込める感情へとフォーカスした非常に実の詰まった画面であり、映し出されているもの全体を捉えて物語が紡がれる密度の濃さが堪らない。特に挿入歌「イルナ エテルロ」が流れる一連のシーンのあまりに祝祭的なムードは氏の作品を見ていると感慨深いものをいやがおうにも感じさせられてしまう。そんな画面の強さにただ平伏せざるを得ない一本だった。


9.URAHARA 第10話「マルノミクィーン」(12/8)

URAHARA Blu-ray-BOX

URAHARA Blu-ray-BOX

※全話収録BOX
URAHARA Vol.4 (豪華版)[Blu-ray]

URAHARA Vol.4 (豪華版)[Blu-ray]

※単巻版Blu-ray
脚本:大草芳樹
絵コンテ:前島健
演出:久保山英一
作画監督松本勝次、加藤壮、福田瑞穂
総作画監督藤田まり子
《コメント》
創作を賛美しつつ、そこから叩き落して抉る容赦なさを感じた。
先に挙げた「ネト充のススメ」と同様「作画カロリーを抑えながら、画面を構成」する作品だった。とはいえ、画面の組み立て方が先の作品とは異なっていて、「気持ちよさ」よりは「ぎこちなさ」を押し出していた、と思う。言い換えれば、「居心地の良さ」より「居心地の悪い」画面を意図して組み立てていたように見えたのが本作。その「居心地の悪さ」が噛み合った時に生み出される化学反応を目指していた、はず。
作品テーマはダイレクトに「創作」でクールの折り返しを機に、主役である少女たち三人の創作に対する向き合い方がダークサイドへと踏み入れた展開をいったん清算してから、さらに「無邪気な悪意」で冷や水をぶっ掛けるこの話数の展開になにか女性らしい非情さに感じ取って、打ち震えた。作品の可愛らしい雰囲気に表裏一体で潜む優しさと残酷さによって「クリエイターとしての女性」が浮き彫りになっていた。百合描写の糖度も中々のもの。
惜しいのは本作で用いられた手法が物語へとあまり機能していなかったので、化学反応が期待値より下回ってしまったことか。しかしその鈍い画面が返って生々しさを伝えていたのも事実で、避けて通れない力のある興味深い一本だった。監督の久保亜美香さんと演出主任の荒川眞嗣さんが主導しただろう、画面分割演出の多用もなにかアートの味わいを感じるのも印象深い。

  
10.THE REFLECTION EPISODE.12「ザ・リフレクション」(10/7)

脚本: 鈴木やすゆき
絵コンテ:伊勢昌弘、藤原良二
演出:伊勢昌弘、浅見松雄、加藤顕、そ〜とめこういちろう
作画監督小林一三佐藤浩一、小田真弓、大塚八愛、小林利充
総作画監督:山田正樹
《コメント》
なんだかんだで「時代の空気」を掴んだ作品だった、という印象。
アメコミ界の巨匠、スタン・リーを迎えて、彼の作ったマーヴェル・ヒーローズの亜種的なヒーローたちが「アべンジャーズ」的物語を繰り広げている作品ではあったが、「力を持つ者たちが被差別者かつ忌避される存在」という現実的な視点が一枚加わっている事で、現代社会を突いていたと思う。「不寛容」が蔓延する社会が露わになっていく毎に物語の面白さが尻上がりに良くなっていったので、その点についてはシナリオとプロットの勝利だろう。
なおかつ群像劇的な物語でもあったので、選出した最終話における各人物たちの倒すべき悪へと一点に集中した時の相乗効果も強かった。社会が不寛容を求めるのならば、オセロの表裏をひっくり返せばいいという敵に対して、共存する道を模索すべきという答えを導くヒーローの対立構造にはなんだかんだで現代的なニュアンスを感じ取る。白黒がはっきりと分かれるのではない、人間的な構図が本作の主役、エクスオンやエレノアやヴィランたちにも背負わされているのが作品らしい特徴だなと思えた。長濱監督から二期製作の宣言もあったので、素直に続編を待ちたいと思わせる作品でした。


以下は次点作品。<次点作品>
魔法つかいプリキュア! #49「さよなら…魔法つかい!奇跡の魔法よ、もう一度!」(1/22)
キラキラ☆プリキュアアラモード #25「電撃結婚!?プリンセスゆかり!」(7/30)
ID-0 DIG 10「縮退履歴 COMPRESSED SIN」(6/11)
戦姫絶唱シンフォギアAXZ EPISODE 1 「バルベルデ地獄変」(7/2)
BanG Dream! #4「怒っちゃった!」(2/11)
亜人ちゃんは語りたい 第1話 「高橋鉄男は語りたい」(1/8)
恋と嘘 第1話「初恋」(7/4)
ナイツ&マジック 第2章「Hero & Beast」(7/9)
THE REFLECTION EPISODE.05「ヴィーとマイケル」(8/19)
        EPISODE.07「チーム・アイガイ」(9/2)
URAHARA 第2話「ポップコーンパニック」(10/12)
第7話「サクラモチブルー」(11/16)
つうかあ #04「Swap Meet」(10/31)
     #08「Engage」(11/28)
     #12「Ladies, Start Your Engines!」(12/25)
魔法使いの嫁 #05「Love conquers all」(11/5)

  
《2017年の総括》
2017年はどういう年だったか。
良くも悪くも激動の年であった、2016年と比べると世界を揺るがすような大きな出来事は多くはなかった。いやもちろんもっと精査していけば、あらゆる所で様々な動きがあったとは思う。世界情勢や国内の動向はTVに限らずSNSなどをそれとなく眺めていれば、流れてくるニュースや情報で知ることは可能だ。が、ここはそういう話題を語る場でもないのでざっくりと触れるだけに留めておくが、時代の空気はなにかしら「淀み」を帯びたものになってきているように感じてしまう。
個人的に今年の一年は「多様性」に潜む「不寛容」が見えた年だった。そしてこの「不寛容」こそが2017年という一年を象徴するテーマだったのだと今振り返ってみれば、興味深い。
結果的に今年のTVアニメ最大のヒット作となった「けものフレンズ」にまつわる一連の出来事はまさしく、この「多様性」と「不寛容」を象徴するものだったようにも思えるし、「多様性」が一種の社会理想論として持て囃される一方でその実、それが「不寛容」なくして成立し得ないという張子の虎のような言説であったというのが白日の下にさらされていく。件の「けものフレンズ」でなくても、この「多様性と不寛容」は社会のさまざまな場所で発生しえる事象だろうと思う。現にSNS界隈では日常茶飯事のように「多様性」が承認され、「不寛容」によって否定されていく。スイッチがON/OFFに切り替わるように。「多様性」をあるべき姿であると言いつつ、受け入れないものについては「不寛容」を貫く。そういった図式や構図がドラスティックに氾濫し、大小さまざまな方面で「不寛容」が強調され、混乱していった、そんな一年だったように思える。
今年の10選は「不寛容」が氾濫し、内憂外患が絶えない状況を孕んだ作品とそういった現代において「普遍的なもの」を描いた作品の二極端に分かれたようにも思う。個人的な観測範囲で恐縮ではあるが、スパイものや権謀術数な展開に進む物語が印象的であった一方で、男女の関係や人間関係を真正面に描く話が同じ年の10選でピックアップ出来た事に面白い符号を見出してしまう。
社会というシステムに渦巻く「思惑」があちこちに淀んでいき、得体の知れないものと化していく一方で、個人は情報発信源となって、浅い繋がりや卑近な関係性を強めていく。現代において、「確かなもの」を考えた場合、それが社会ではなく個人間の関係性であるという帰結は良くも悪くもありがちな、あるいは安直さはあるが、やはり危うさも否定はできないだろう。現にそれを国家レベルで言い換えるなら、民族主義であったりアメリカ第一主義だったりに飛躍して考えることもできなくはないし、気持ち悪い連帯感や同調圧力へと変わっていったりもする。要は「不寛容」な空気に囚われることに他ならないだろうと思う。
SNSの発達による、かつてない膨大かつ多様な情報の氾濫。それによって社会全体に蔓延する「不寛容」をどう対処するか、という課題が出たことが2017年という一年を象徴しているのではないだろうか。その背景に「多様性」があり、そのカウンターとして出てきていることからも鑑みて、何かしらの「線引き」があって然るべきとなるのか、とことん排他的な方向へ進んでいくのかはまだわからないが、日本においてはまもなく「平成」という一時代が終わりを迎える。この情勢は「時代の変わり目」によるものなのか、その判断は時間の経過が必要となりそうだ。嵐の前の静けさなのか、時代の曲がり角なのか。それはまだ誰にもわからない。

《最後に》
さて、ここまで書くといよいよ今年もあと少しって気分になりますね。
今年は各クールに自分の見れる作品があったので楽しめた一年でしたかね。あと個人的には映画を結構楽しんで見ていた一年だったなあと。自分は各クール全作チェックなんて面倒くさいことはせず、アンテナに引っかかったものだけ見るという視聴スタイルなので好みが合わなければ話題作も見ません(今年はなんとなしにがんばって視聴したものもありますがそれはそれとして)。最初にも書いたように、「今年の視聴履歴」的な側面が強い中での選出なのでそういった部分で自分の好みの部分が出ていれば、参加する意味はあるのかなと思ってます。
まあ、なんにせよ。終わってみれば今年は「けものフレンズ」に始まり、「宝石の国」で終わるという3DCGアニメ作品の隆盛を見た一年だったのは間違いないので、今後その流れがどうなっていくのか。またNETFLIXという黒船のアニメ攻勢がどう影響を及ぼすのか、というところが来年以降の展望でしょうかね。面白い作品が出てきて、楽しめればそれに越したことはないわけですが、どうなっていくのか注目です。
個人的に来年は「とある作品」に集中して追っかけることになりそうなので、そこが楽しみでもあり。話数10選は昨年も言ったように発表される作品次第です。ただストリーミング配信オンリーの作品も出てきそうですし、いよいよ「TVアニメ」という言葉が形を変えていくことにもなりそうですし、いろいろな転換点が押し迫ってきていることは確かですね。今年、国産アニメは100周年を迎え、来年は次の100年に向かうスタートの年。そして実質「平成」の最終年です。いろいろな節目がやってくる中、自分も何かやれたらいいなと思う次第。もちろん話数10選も。
とまあそんな所で。以上が「話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選」でした。自分と関わりになった方々には本年もお世話になりありがとうございました。来年もまたお付き合いいただければ幸いです。
それでは今年も残りわずかですが、よいお年を。

音楽鑑賞履歴(2017年11月) No.1168〜1182

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
14枚。
なんだかんだでこのくらいの数に落ち着いた感じです。
いよいよ年末です。来年のいろいろな準備もあれば、今年中に済ますこともあるかと思います。
平成の世も残りあとわずかになって、何かが変わっていきそうな雰囲気もありますが、
足元を掬われないようにしっかりと「今」を踏みしめたいところですね。
今回は英国に始まり、英国に終わる、といった感じでしょうか。
というわけで以下より感想です。


・74年発表2nd。英国叙情派プログレバンドの代表格にして開花の一枚。初期の傑作と知られる作品。UK五大プログレバンドやカンタベリー一派、ジャズロック勢とも違う、非常に洗練された、透明感のある美メロが特徴。その絵画のような幻想的な印象は他のバンドは一線を画す魅力的なものだ。
ギタリストかつフロントマンのアンディ・ラティマーが奏でる、明朗なギターサウンドもさることながら、彼のもうひとつの顔であるフルートもまたバンドの魅力として押し出されている。下手に小難しくならず、優雅で口当たりのいい爽やかなサウンドプログレというジャンルにおいては非常にクセがない音
思想音楽の趣も強いジャンルの中で、キャメルのような物語的な叙情感を兼ね備えたバンドはポップではないにせよ、プログレというジャンルのエッセンスを抽出し、その洗練されたメロディをキャッチーに聞かせてくれる。非常に聞きやすいアルバムだろう。ジャンルの入り口としてもオススメな良盤だ。


古畑ミケ「月世界奇行」

15年頒布2nd。初音ミクと結月ゆかりをメインに「月」をテーマにしたコンセプチュアルなボーカロイドアルバム。15年の夏コミにて発表された。ジャケット&アートワークはかの貞本義行氏。ジャケットの雰囲気からも窺えるように、全編に渡って幻想的でダークなサウンドが聞ける。
サウンドの方は、平沢進のサイバー宗教的なエレクトロサウンドムーンライダースデカダンなフレーバーが散りばめられたものになっていて、そこにプログレシッヴな叙情性も織り交ぜられた完成度の高さを感じる。テーマが明確なのも本作の魅力を下支えする要因のひとつだ。
そういったサウンドに乗っかる歌声がボーカロイドの人工的な声であるのも相俟って、楽曲の雰囲気が非現実なものとして表現されているのが興味深い。アルバム内にしっかりとした世界を作り上げている点を取ってみても、本作が力作であることが証明されてるし、過去の作品を聞きたくなる良作だと感じた。

ライト・メッセージ(期間生産限定盤)

ライト・メッセージ(期間生産限定盤)

83年録音盤。通算18作目のリーダー作。スペースブギー全開のエレクトロファンクが展開されている。当時らしいスラップとペカペカしたシンセにタイトなリズムが絡み合い、スペーシーに鳴り響くサウンドはグルーヴを感じるというよりは軽やかな浮遊感と開放感を味わうダンサブルなものに仕上がっている。
ブラコン一歩手前のテクニカル・ライトメロウ・フュージョンという趣であり、そのキレの良い爽やかさは当時のディスコでも非常に映えたのも想像に難くない。アルバム全体のテンポとスピード感がとても心地良い一枚だ。目映いくらいに煌びやかな光を放つ、スポーティ&ダンサブルな良盤だろう。

HOMEWORK

HOMEWORK

97年発表1st。フランス出身でいまやハウス/エレクトロの代表的ユニットのひとつとしても知られるダフト・パンクのデビュー作。ハウスマナーに忠実な四つ打ちのキックとマットな低音リズムに芯の太いシンセ音が絡み合う非常にストイックなハウステクノが聞ける。まだまだ煌びやかさには程遠い作りだ。
当時らしいテクスチャーを纏ったサウンドであり、20世紀末を彩った流行のクラブサウンドという域を抜け得ないものではあるが、そのシンプルなキックとリズムだけで進行するトラックには不思議と古さはあまり感じられない。下手に装飾をしていない分、ハウスの良さが抽出されているのが上手く転んでいる
終盤に向かうにつれて、ダークな趣が顔を出してくるのが盤の特徴といえば特徴なのだが、やはり過度な装飾がない分、キックとリズムのみで勝負するには内容がやはり冗長な感も否めず、アルバムとしてやや間延びした印象を受けるか。もちろん悪くはないのだが、佳作の域を抜け出ない抜け出ない惜しい一枚

Discovery

Discovery

01年発表2nd。ハウステクノからディスコ回帰へと向かった、大ヒット作品。日本盤は彼らが大ファンである松本零士書下ろしのジャケットだったのも記憶に残る。その後、アルバム全曲を使った一大MVとも言えるアニメ作品も製作、アニメの受け取られ方の潮目が変わった印象を与える点では意義深い一作か
内容の方は極めて70年代後期のディスコサウンドやモダンポップスの流れを汲んだ、エレクトロサウンドで、前作と比しても並外れてポップ度は上がり、キャッチーな楽曲が立ち並ぶ。とはいえ後にもっと生っぽい肉感的グルーヴを押し出した作品を作ることを考えると、ここでは半ナマなビートが支配している
ビートとリズムが人工的なためか、テクノミュージック然としている部分が大きい。楽曲やメロディのカットバックや処理が非常にクラブ的であり、その視線も妙に醒めたものであることは否めないだろう。キャッチーな質感とは裏腹にアルバムが進行していくと、その醒めたフィーリングが強くなっていく。
楽曲の組み立て方がエレクトロなのもあり、このデジタルな趣がかえって時代的なテクスチャーを帯びたものになっているのは今改めてこのアルバムを聞いているからだろう。サウンドがキャッチーな反面、ビートがナマっぽくない為に、せっかくの熱気も冷めてしまい、冗長感が出ているのは痛し痒しだ。
狙い所は悪くはないし、むしろ成功も得ているが、時代の経過も影響して詰めの甘さが強くなっているのは止むを得ないところだろうか。クラブサウンドの新たな指針を示した作品としては十分評価できる作品であるし、ポップでメロウな一枚ではあると思う。全体にレトロフューチャーな印象を強く感じる。

05年発表3rd。前作のディスコ路線から打って変わって、ロック色が色濃くなった作品。純然としたテクノというには不純物が多すぎるし、このアルバムより先行してムーブメントを形成していたケミカルブラザースやプロディジーみたいな勢力と比べるとややソリッドでサイバー感が強く、ニュアンスが異なる
彼ら特有のクセがかなり強調された作りになっていて、全体的に音のアタックの強さやポップさを廃した、メタリックで機械的なビートが作り出すデジタリックなヒリヒリした感覚は相応に好みが分かれそう。というより辛口の酒を飲むような味口なので、前作の味に慣れていると戸惑うことは想像に難くない
その反面、前作までの反省を受けてか45分ほどというコンパクトな内容に纏まっていて、冗長な印象はあまりないか。だが同時にポップとはかけ離れた為、華やかさには欠けてしまい、単調な感じなのが惜しい。その突破口として本作唯一のメロウナンバーである5に活路を見出したのが次作というのが興味深い
スタジオ作としては本作を最後にヴァージンを離れ、8年後コロムビアへ移籍し、再びブレイクを果たす事になる、本作はEDM前夜の作品と捉えると、アプローチの仕方は間違っていない作品だが変化が急激過ぎた結果、低調に受け取られてしまったのだと思う。それらを考慮すると冒険的な佳作なのかもしれない

The Bird and The Bee

The Bird and The Bee

07年発表1st。音楽プロデューサーとして近年目覚しい活躍を続ける、グレッグ・カースティンとLittel Featのフロントマン、故・ローウェル・ジョージの娘でソロ歌手としても活動する、イナラ・ジョージのユニット。レトロフューチャーかつキュッチュなエレポップが物憂げに響き渡るのが新鮮だ。
イナラ・ジョージの声は亡き父親、ローウェルにそっくり(もちろん男女の声質の差はあるが)で、歌い回しも非常によく似た、独特な印象を受ける歌で、そこに過剰に音を置かず、空間の余白を意識したであろうグレッグ・カースティンのサウンドプロダクションが心地よく響く。静かだがポップ度は高い。
このサウンドの気持ちいい空間的な停滞感と閑散とした印象は現在、大活躍するプロデューサーとしての片鱗を窺わせるものだろう。全体にリラックスした穏やかさもある中で、毒気やシニカルさもある、一筋縄でいかない感じや80年代へのオマージュも意識しながらもエレポップも刷新する、抜け目なさを感じる一枚だ

アウト・オブ・ザ・ロング・ダーク

アウト・オブ・ザ・ロング・ダーク

  • アーティスト: イアン・カー(tp),ニール・アードレイ(key),ブライアン・スミス(sax、fl)
  • 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
  • 発売日: 2011/12/21
  • メディア: CD
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79年発表11th。当時のクロスオーバーブームに乗っかったシャープなタッチのジャズロックが展開されている一枚。フュージョンというよりは確実にジャズロックという雰囲気があるのは、英国らしい陰を感じさせる独特な音ゆえか、イアン・カーがロックミュージシャンというよりジャズメンだからか。
カンタベリー勢のようなくぐもった空間的な質感とクロスオーバー的な技巧さが絡み合いながら、メインで主張するのがイアン・カーの吹くマイルス直系のハードバップなトランペットという妙味が重なった不思議な音であるのは間違いない。トランペットの奏法がいかにもジャズ的で、ロックとは異なる。
なのでジャズロックといっても、「ジャズ」側からのロック的アプローチという向きが強い音になっているのが、このアルバム、ひいてはバンドの特徴となっているように思う。もちろん音は時代の波を受けて、洗練はされているが根っこがブレていないので「ジャズロック」の形を保っているのが面白い。
見ようによっては旧態然としたものに見えてしまうが、本作はそれでいいのだと思う。スタイルとして徹底して、ジャズロックを繰り広げているのだから、頼もしいというほかないだろう。当時の評価はどうであれ、今聞く分には非常に洗練されたジャズロックの好盤と聴けるし、内容も充実している作品だろう

Live: Thirty Days Ago

Live: Thirty Days Ago

04年発表ライブ盤。2ndリリース直後のヨーロッパツアーの模様を収めたライブアルバム。各地のライヴからの抜粋なのでセットリストどおりというわけでもないようだが、ライヴハウスのこじんまりとした空間の中で繰り広げられる熱気は確かに伝わってくる。収録曲も当時の代表的な持ち歌ばかりだ。
スタジオ録音と比べると、ややラフなニュアンスでざっくり削ぎ落とした、ライブ仕様のサウンドでアレンジの違いが楽しめる。演奏技術がしっかりしているためか、パッション迸るプレイは流石に聞くことは適わないが、しっかりとした土台の上でその手堅くまとまった佳作かと。

15年発表SG。http://P.A.Works 製作のTVアニメ「Chalotte」の主題歌シングル。OP&ED曲が収録されている。作詞作曲は本作の原作、脚本を手がけた麻枝准。テクノとロックorポップスが融合したような楽曲とメロディラインは独特な個性を放っており、その出来においては麻枝節といっても過言ではない
キーワードは「トランステクノ」。オルタナティヴロックにも影響を受けている(だろう)麻枝のもうひとつの片翼にはテクノミュージックが備わっており、今回の主題歌においてはエピックトランスから感じられる壮大さと神秘さをオルタナロックやポップスに落とし込んでいるように聞こえた。
トランスとロックを同居させたまま、繰り広げられるメロディは神々しくもあり、麻枝の独特な魅力を象徴している。どちらの曲も展開に一ひねりが加えられていたり、歌詞もよく聞くと本編の物語そのものであったりと、一筋縄でいかないところがドラマティックなシングルでもあるかと。

15年発表3rdSG。メジャーデビューしてからのポップ路線を踏襲したタイトル曲をはじめとして全三曲を収録したシングル。後に行けば行くほど、バンドの個性が色濃く滲み出た曲が流れてくるという構成になっていて、3はインディーズで聞けた早口ラップ調の楽曲で本盤の中で一番密度の濃い一曲だ。
もともと社会の孤独や生き辛さ、ネット社会における人間関係の噛み合わなさをメランコリックに歌い上げるバンドなのでそういったサブカル色に好みは大きく分かれるだろうが、どの曲も非常にテクニカルでメロディ、展開とともに聞き応えはある。バンドの勢いを感じる意欲的な一枚だ。
だがそれはあくまでもこの「時点」においては、という冠言葉がついてしまうのは否めない。この後、紆余曲折あるのは周知のとおりだがこの破竹の勢いが遠い昔のような寂しさを感じてしまうのが何か物哀しく思えてしまうのは気のせいだろうか。

  
15年発表55thSG。そして事実上のSMAPラストシングル。グループ結成日である9/9にリリースされたシングルであり、発売当初は解散騒動の影形もなかったことからもこちらも遠い過去のような錯覚に陥ってしまう上にリード曲の片方の提供者がゲスの極み乙女。川谷絵音である事も何か運命的だ。
もう片方のリード曲も提供者がMIYAVIとLEO今井というソリッドな布陣であることからも、このシングル自体かなり攻めた一作だ。特に「愛が止まるまで」は今改めて聞くと、その後の行く末を暗示しているような歌詞である以上に、提供者の川谷にとっても恐らくはこれ以上にない出来の楽曲ではないかと思う
元々、フェミニンかつサブカル色の強い孤独さや関係の断絶をメランコリックに描く、川谷の楽曲が国民的アイドルグループと称されてきたSMAPという存在の裏面を結果的に炙り出しており、その存在を保つ事への危うさをまざまざと描き切ってしまっているのはまさに奇跡的。だが終わりの始まりでもあった。
このシングルを企画した者は慧眼だったと思う。が、テクニカルな高速フレーズに乗って歌われる「I Love You」の物哀しい響きはファンにとって走馬灯的な刹那を思い起こさせ、えも言えない感傷に駆られてしまう事だろう。そういう点では一石を投じた作品にも思えるが、運命的な符号があまりにも重なりすぎた一枚。

Struttin

Struttin

・70年発表3rd。前作まではインストで構成されていたが、本作よりボーカル曲(カントリーのカバーなど)が導入されており、新境地を開拓した作品。昨今の音楽と比べても非常に隙間の多い、なおかつ空間的なグルーヴを作り出しており、オーセンティックなセカンドラインファンクを聞かせてくれる。
タメツメの効いたリズムとメロディがタイトに響き、ゆったりとした波にたゆたうような大らかな心地よさに支配されて、わずか40分程度の内容があっという間に過ぎ去っていく。演奏の粘っこさはけしてスタイリッシュではないが、朴訥としたマットな雰囲気にいつまでも浸っていたくなる良作だ。

Clap Your Hands Say Yeah

Clap Your Hands Say Yeah

・06年発表1st。レーベル契約を結ばず、音源を自主制作リリース(流通は大手に委託)という発表形態が話題になったグループ。現在は中心人物、アレック・オンズワースによるソロユニットと化しているが、デビュー当時はバンド然としたサウンドを繰り広げている。
内容はブルックリン系のインディロックらしく、ローファイかつアートスクールな知性を感じさせる一方で教育番組で流れてきそうな童謡的なメロディも織り交ぜてくる、奇妙な感覚が特色になっているか。全体にとぼけた雰囲気が漂うがシニカルな趣もあり、歌声も相俟ってトーキングヘッズを想起させる。
割れたガラスの切っ先のような怜悧な感覚に垢抜けないフォークソングやカントリー的なSSW的サウンドは今聞くとやはり一昔前というか、エレクトロが絡んでこない所が隔世の感もあるがこの時点でしか成立し得なかった音にも思える。初作にして音楽性が確立されている良盤だろう。

Serotonin

Serotonin

・10年発表3rd。ラフ・トレードに移籍して、制作された作品。前作、前々作のサウンドの発展型でそこに瑞々しいギターサウンドを加えた事により、光の粒が乱反射するが如き、明るさと透明感を備えながら、バンドの持ち味であるサイケな雰囲気を損なわないで楽曲を構成しているのに舌を巻く。
いかにも英国らしい翳りのある田園風景の緑を感じさせながら、そこに潜む得体の知れないダークサイドの趣やトラッドなメロディと現代的なポップソングのメロディーが絡み合い、独特なバランス感覚の音が響く。過去と未来が引っ付いて、現代をかき鳴らす姿に地に足がついた印象を受けたりもする
その点では過去のデータベースと現代性と先進性が一緒くたに混ざり合って、新しいものとして、このアルバムの音が完成されているのだろうと思う。温故知新を地で行くといえばそうなのだが、レトロ趣味に埋没せず、「今」を志向しているのがバンドそのものの強みなのだろう。そういった骨太さもある良盤

音楽鑑賞履歴(2017年10月) No.1148〜1167

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
久々に20枚。
今回はバラエティに富んでますね。映画の鑑賞を極力抑えたのが多く聞けた原因かも。
なにかぱっとしない天候の続いた一月でしたが、そのおかげで秋の深まりをひしひしと感じましたね。
後半は映画「アトミック・ブロンド」を見に行った影響で、作中の時代近辺の音楽を聴いてます。
久々にいいアクション映画を見ました。
今年もあと残り二ヶ月。いよいよ年末の慌しさが押し迫ってきそうですが、体調を崩さないようにしたいですね。
というわけで以下より感想です。


「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」1stシングルCD「プロローグ -Star Divine-」

「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」1stシングルCD「プロローグ -Star Divine-」

17年発表1stSG。ブシロードの「アニメ×演劇」二層展開企画作品「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の1stシングル。9/22~9/24の公演において披露された全員曲の3曲を収録した物となっている。どれも作品を象徴するナンバーで印象的。歌詞の方も専属作家が付いていて統一感がある
その為、いろいろ歌詞も想像しがいがあるものとなっているが曲順も練られていて、9人の歌唱が一塊になっている1から2、3へと行くにつれて、キャストの個性を細分化していく曲構成になっていて、興味深い。楽曲のキャッチーな魅力がある一方で、歌詞も読み込ませる仕組みで今後の期待が高まる一枚だ


少女☆歌劇 レヴュースタァライト」限定シングル スタァライト九九組「プリンシパル -Fancy You-」

少女☆歌劇 レヴュースタァライト, 【販路限定】「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」限定シングル スタァライト九九組「プリンシパル -Fancy You-」 | きゃにめ
17年発表会場限定版SG。同じく「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」の会場限定販売シングル。リンク先の公式通販サイトで購入可能。1stの全員曲に対して、こちらはユニット曲が3曲収録。こちらもキャラの配置を考えると考察があれこれ思い浮かぶような作り。収録曲は全て公演で披露されている。
曲想は1stよりさまざまで、開放感のある曲があれば、エレガントでスキャンダラスな曲もあり、バラードもある構成。こちらも歌詞を読み解いていくと、キャラクターの背景がより深まるように出来ていて、現時点で提示されている情報以上にキャラの一面が読み込めるのが面白い。作品を拡張する良盤かと

Departure

Departure

・80年発表6th。ブレイクの兆しを感じる、キャッチーなポップさが滲み出た作品。彼らの70年代を総決算したような、プログレッシヴなアプローチやブルージーなハードブギー色もまだまだ残る中、その時代的な垢抜けなさが時たまふっと、洗練されかけるサウンドが今聞くと独特な魅力だ。
ベイエリアのサイケ的なアプローチから発展したコズミックなブルーズ感覚の強い、スピリチュアルな猥雑さをスティーヴ・ペリーという稀代のVoの存在によって払拭、洗練化させていっているのは時代の追い風とともにロックの「形」が完成されていったのにも付随しているように思える。
当時の評論家がそれを「産業化」と揶揄したのも理解はできるが、形式が固まったからこその、ジョイフルな魅力はやはり捨てがたい。かつてはカウンターミュージックでもあったロックが「ポップミュージック」として完成されていく様子がバンドの変遷からも窺えるのはなかなかに興味深い一例ではないかと
アルバムとしては次作の大ヒット前夜的な過渡期な向きも否定できないが、まだ落としきれていない「垢」がなんともいえない妙味を出していて、捨てがたい一作だ。とはいえ、バンドとしては転換点でオリジナルメンバーのグレッグ・ローリーが脱退。次作以降はさらにポップな色合いを強めていく。

すとーりーず

すとーりーず

・12年発表5th。前作のエレクトロ路線を引き継ぎつつ、従来のポストパンク的な前衛色が戻ってきて、肉感的な向きがやや強くなった。エレクトロにスピリチュアルなニュアンスを残しながら、バンド演奏の人力感がそれを引き締めてくるような趣が印象に残る。それゆえかコンパクトかつタイトな内容。
歌詞の方はナンセンス度が今まで以上に跳ね上がり、煙に巻く作りになっているが、だからこそ見えてくる知性の鋭さにどきりとする瞬間も。前作ではあまり見られなかった定番のフレーズも今回は健在でメタリックかつエレクトロなザゼン・ファンクはさらにグルーヴを増しているようにも受け取れた。
それだけにかなり掴み所のない作品にもなっていて、一度聞いただけでは魅力に気づきにくい作品になっていることも確か。意識しないで聞いているといつの間にか終わってたというのもあるが、バンド特有のグルーヴを覚えれば、実に奥行きが深く、底の知れない一枚でもあるように思う。歯応えのある良作だ

プレヴィザォン・ド・テンポ

プレヴィザォン・ド・テンポ

73年発表10th。ブラジル音楽を代表する作曲家の一人であるマルコス・ヴァーリの「天気予報」と名づけられた10作目のアルバム。本作ではライトメロウ〜フュージョン界隈で再評価著しいアジムスをバックバンドに従えて、涼しげなライトメロウを繰り出している。リリース年を考えると先鋭的だ。
もちろんボサ・ノヴァやサンバを感じさせるリズムに60年代的なキッチュさがまだ乗っかっているのだが、アクになっておらずあくまで自然体に推移している。一方でその奏でられるメロディは癖が強く印象的ではあるが、アジムスのクールな演奏力の高さとヴァーリの作曲能力の高さもあって非常にポップ。
メロディラインはかなり不思議な印象を残すものであるのにも関わらず、ファンシーさもありつつ非常に甘さを感じる中毒性の高いポップになってて、飽きが来ないのは興味深いところ。キャリア最高傑作とも評されるのも頷ける、時代の5年先を行くサウンドを提示した傑作だろう。ベースラインも心地いい。

陽はまた昇る

陽はまた昇る


92年発表3rd。ミュージシャンズ・ミュージシャン的な評価も高いギタリスト、山口洋率いるバンド。派手なことは一切しない、無骨なまでに響くギターフレーズをメインにした、オーソドックスなロックが特徴。大陸的な雄大さを伴ったアーシーな開放感が日本人離れしたスケールを感じさせる。
歌も普遍的で力強いメッセージを伴っていて、フォークソング的でもあるが変に媚びた印象がなく、文字通り等身大のパーソナルに響くものとなっていて、すごく誠実さを感じるもの。非常に堅実さのある、心と体が見事に合わさった抜けの良い素朴なメロディとビートがとても心地良い快作だろう。

つづれおり

つづれおり

71年発表2nd。70年代を代表する名盤にしてキャロル・キングの代表作。いわゆるシンガーソングライターという語句が流布したきっかけを作ったアルバムのひとつでもあり、その私小説的な内容は60年代におけるロックカルチャーへのカウンターでもあった。このため、非常にパーソナルな響きを持つ
ロックの混沌と熱狂が渦巻く響きに対して、極めて冷静かつ内省的なサウンドは60年代的なフォークソングやソフトロックとも一線を画しており、適度な湿度と重さを感じさせる。のちにウェストコーストサウンドと呼ばれる流れと密接にリンクしており、このテイストがAORやライトメロウに繋がっていく
それゆえにカントリーやソウルなどの歌ものに比重を置いた作りにもなっていて、演奏は「歌」に寄り添うものとして扱われているのがよく分かるし、完成度の高い演奏も求められているのも窺える。より音楽の個性と完成度を際立たせる点においてはかなりエポックメイキングな作品なのではないかと思う
その面ではこの盤は歴史的な分岐点でもあったと考えられるだろう。余談ではあるが、ほぼ同時多発的にこの時期、荒井(松任谷)由実が日本でデビューを果たしている事からも、60年代的な趣に区切りが付き、70年代が始まりを告げた一枚なのだろう。後の影響も大きい、すべての始まりが詰まった傑作だ

Normal As the Next Guy

Normal As the Next Guy

01年発表6th。バンドの21世紀最初の作品にして、ラストアルバム。DrでMr.Bigパット・トーピーが参加している。かつての疾走感溢れる正統派パワーポップはもはや聞けないが、ビートルズ直系のビートポップをマイルドなスピードで悠々自適に演奏するさまには年季の入った貫禄を覚える。
テンポが落ちた分、演奏の味わい深さが増していて、一音一音の瑞々しさと甘酸っぱいポップな響きはかつてより熟成した魅力を感じる。酸いも甘いも混ざり合って、バンドの持つメロディと演奏の良さが引き立つ。もちろん衰えもあるがそれを弱みと感じさせないエネルギッシュさは昔と変わらず顕在だ。
カントリーやロカビリーなどのルーツミュージックの側面も見せつつ、歌があっていい演奏とビートがあって、グッドメロディーがただそこにある、素朴な喜びを感じさせてくれる一枚かと。単純に聞いていて、気持ち良いし楽しくなる。じっくりと繰り返し聞きたくなるそんな良盤。一発屋の姿はもう、ない。

フレイゼズ・フォア・ザ・ヤング

フレイゼズ・フォア・ザ・ヤング

・09年発表1st。The Strokesのフロントマン、ジュリアン・カサブランカスのソロ初作。全10曲のうち、前半が後にThe Strokesでも導入されるエレクトロサウンドを基調にしたバンドサウンド、後半がソロの次作で発展ていくアナーキーかつダーティなNYサウンドという構成。
久々に視聴して思うことは、この時点でジュリアンが10年代的なサウンドの指標を提示していた点に尽きるかと。ロックバンドがEDM化していく一方で、挑戦的な音はアンダーグラウンドに潜んでいくという傾向。10年代も後半に入っている今聞くと彼の指標がそのまま洗練化されているの気付く。
発売当時は割りと凡庸な作品に思えたが、今にして思えば時代の先が見えていたのだなと思わざるを得ない。とはいっても、水と油のような可能性を同居させている分、その悪夢的かつ前衛的なアルバム構成はポップさに欠けている面も無きにしも非ずだ。高いアート性は感じるが名作には一歩及ばない佳作か。

Anything

Anything

86年発表7th。前作の路線を踏まえつつ、さらにポップへと振れた作品。モノクロなゴシック然とした趣からカラフルな色彩を感じるメロディラインが増えた一方で、アルバムの統一感は薄れてしまい、結果とっ散らかった内容になってしまっている。欲目を出したのが災いしているのか、なにかぎこちない
結局、メインストリームなポップ志向はバンドの柄じゃないということが最大の要因だとは思う。前作で発掘した作風をより能天気な方向にした分、美意識が損なわれ、下世話な地が顔を出してしまった印象を持った。ただこういう無邪気さはこのバンドの美点であり欠点でもあるので悩ましさは残る
内容が良くないというよりは、サウンド面で取り纏める役がいない分、好き勝手にやったらこうなってしまった、という感じだろうか。事実、この盤ではミックスやリミックスが多いのはなんとなくそんな側面もあるのでは勘繰りたくはなるが。その垢抜けなさがなんとも愛らしく感じる佳作、という所か。

Jack & The Beanstalk

Jack & The Beanstalk

95年発表8th。前作より9年ぶりの作品だが、リリースに至る経緯がやや複雑でまず最初に「Not of Earth」のタイトルで日本先行発売、その後、間の期間にオリジナルラインナップで作られた1曲を追加して、本国イギリスでリリースされた際に付けられたタイトルが「I'm〜」になる。
このような顛末にいたったのは楽曲の権利関係の模様。どうも9年の間に活動休止状態にあった中、ドラムのラット・スケイビーズが本作でのバンドメンバー、アラン・リー・ショウと制作した曲がメインになっており、そこにデイヴ・ヴァニアンが参加するという形で作られたのがこのアルバム。
また、デイヴの方も離婚を経験して、慰謝料の補填する為にツアーと続けたかったのと、ソロバンドの活動があったことや、ラットの方も当初は乗り気だったようだが、少ない客を相手するのに難色を示し、本作の楽曲権利で揉めた末、脱退というバンドの内情が悪化した時期の作品でもある。
そういった混沌とした状況の中で作られたある種「再々結成」的な趣の否めない作品ではあるが、アルバムの内容は原点回帰している。パンクというよりはハードロックなのだが、前作までのゴシック色が払拭されて、ベーシックなガレージロック的な音が聞こえてくる。恐らくオルタナの波を受けての音だろう
流石に往年の音に比べると、見劣りしてしまうがそれでもここでバンドサウンドにリセットがかかったのは大きい。2曲、元セックスピストルズのグレン・マトロックが参加、ジャズファンクで有名なジェイムス・テイラー(米のSSWとは同姓同名の別人)もオルガンで参加している。
紆余曲折あって、ラットの脱退後、入れ替わりにキャプテン・センシブルが復帰し、現在の体制に移り変わっていくわけだがバンドが継続する点において、本作はかなり重要なターニングポイントだ。少なくともこの盤のおかげで、バンドは息を吹き返すわけだから不思議なものである。鬼子的な佳作だが重要作

『それって、for 誰?』 part.1(完全生産限定盤)

『それって、for 誰?』 part.1(完全生産限定盤)

15年発表17thSG。音楽配信などが主流になりつつある現代においてシングルCDを出す意義を問いかけるというコンセプトで発表されたエクストリームシングルの第一弾。タイトル曲の他にボーナスCDで日比谷野外大音楽堂でのライヴ音源が丸々収録されたボリューム感ある内容となっている。
表題曲は切れ味あるカッティングギターに乗せた彼らの王道といえるべきダンスチューン。その歌詞とボーナスCDにおけるMCを合わせて、バンドの所信表明にしているのだと思う。彼らなりの音楽業界に対する真摯な姿勢を感じるとともに、その勢いのある演奏が企画の初手として鮮烈に響く一枚だろう。

NO NUKES 2012

NO NUKES 2012

15年発表ライヴ盤。2012年の「No Nukes(「脱原発」を掲げたロックフェス)」でのライヴを収録したアルバム。07年ごろから緩やかな再結成状態が続けていたYMOであったが、自らの代表曲の演奏の収録を頑なに忌避してた節があり、本作はその禁を解いた作品となっている。
演奏そのものは非常にリラックスしたもので、和やかさすら漂うような味わい深いプレイ。それゆえに曲自体の持つシリアスな雰囲気と合わさって、不思議な緊張感も漂う中、角が取れたしなやかなグルーヴが全体を覆っている。かつてのスピードやテンポがない分、雑味が抜け、熟成されたリズムが鳴り響く。
収録曲が少ない、あるいは次の日の演奏が良かったという評もあるが、このアルバムの意義はどちらかというと「代表曲」を屈託なく演奏する姿を収めることのほうが大きいように思えるし、かつてのライヴ盤という形式を考えるとこのボリュームでも十分なくらいではなかろうかと。熟練の技を楽しむスルメ盤だ。

11年発売OST。同名アニメ作品のキャラソン集第二弾。音楽が主題の作品だけあって、バラエティに富んでいるが、バラード系の楽曲はなく、楽しげなメロディラインの曲が並ぶ。一部キャラクターが歌っているというより、担当声優の歌唱に聞こえてしまうという欠点もあるが、それを抜きにしても良作だ
聞き所はベースラインと各曲で響くギターだ。特にギターは全編に渡って所狭しと鳴っており、この盤の魅力の一角を担っている。ロック調の曲が多いのもあって、ギターソロが目立っている印象。全体として非常に現代的なポップスの趣を強く感じるアルバムだ。楽曲構成もメリハリがついていて、聞きやすい

ライヴ

ライヴ

72年発表ライヴ盤。グラント・グリーンとの共演でも知られるヴァイヴ奏者の実況盤。ヴァイヴというとクールな印象のジャズを想像しがちだが、ライヴハウスの熱気もあって、とてもホットな演奏が繰り広げられている。リズムも重戦車のようなヘヴィな響きで一気に駆け抜けいくのがかなりのアツさ。
とにかくヴィブラフォンという楽器から出てくる音の印象を覆す演奏で、そのクラシカルで優美な響きとは一切無縁な、非常にワイルドな響きがファンキーに迫ってくる。矢継ぎ早に出てくるの力強いフレーズは硬質でクリスタルな楽器本来の響きとのギャップもあって、印象的に聞こえてくる。
ライヴなので、熱気とともに一気呵成に聞かせる勢いもあり、プレイヤーのテンションも非常に高い名演なのは間違いないだろう。現在、イメージされるジャズファンクとは趣とは異なるが、レアグルーヴ/ジャズファンクの名盤として輝く一枚だ。ボーナストラックでマッドリブによるリミックスも1曲収録されている。

Black Album (Dlx)

Black Album (Dlx)

80年発表4th。おそらくバンド史上最もポップな作品。世間の評価ではサイケデリック色やプログレっぽくなったともいわれる一枚だが実際の所、英国ポピュラーミュージックの伝統に則ったトラッドの色合いを持った層の厚いメロディと前作までのパンキッシュさに新機軸のゴシック色が入り乱れている。
それぞれが融合せずに独立して成り立っているおかげか、そのカオスな肌触りは過渡期の作品という印象を受ける。が、そこまでちぐはぐさを感じないのはバンドの勢いと楽曲のポップさゆえのように思う。バンド特有の無邪気さがかつてなく弾けたポップネスを叩き出しているのが功を奏した結果だろう。
その中で萌芽したばかりなのがゴシック的なアプローチだ。ラストの長尺曲にも顕著のように本作のポップさが返って邪魔になってしまい、楽曲としては昇華し切れていないように感じられしまう。サウンドの完成は次作以降となるが、本作で示された方向性を偶然掴み取るのがこのバンドらしいとも言える
なお本作はスタジオ録音ととライヴ録音という変則的な構成になっており、Disc2にはライヴ音源部分とボーナストラックが増補。こちらはまだパンクバンド然とした演奏が聴ける。先の可能性を示しつつも、ポップさを頼りに音楽性を模索した感のある一枚。一方で最もキャッチーな魅力に溢れた作品だ。

SONIC FLOWER

SONIC FLOWER

・87年発表1st。現在も活躍し、2017年にバンドデビュー30周年を果たしたプライマル・スクリームの初作。今の姿が想像できないような、当時らしいネオアコの雰囲気を帯びた、フォーキーかつサイケな音でかなり驚く。この時点ではボビー・ギレスピーとギタリストのジム・ビーディの双頭体制。
密室的な篭ったサウンドでもあるが、当時流行のネオアコの質感でネオサイケをやってるような気怠さとダウナーさは後のサウンド志向とボビーのパンクスピリットを考えると妙に納得するものがあり、ポップよりロック的なアプローチで挑んでいたこともなんとなく窺える。芯があるというか。
本作限りでジム・ビーディは脱退するが、結果的にネオアコという一時の流行より、先のサウンドボビー・ギレスピーは見据えていた為、ひとつのスタイルに固執せず、アルバム毎に作風に変化をつけ、息の長い活動を続けていくことになる。その点では質感より核の部分に骨太さを感じる佳作だろう。

Substance

Substance

・87年発表ベスト盤。イアン・カーティスの自殺を経て、ジョイ・ディヴィジョンから発展したニュー・オーダーの1st〜4thまでのシングル曲とリミックス&Bサイド曲をコンパイルしたベストアルバム。17年現在、これらより網羅的なベスト盤が出てしまってるので価値は薄いが当時では貴重だった
なにしろ活動初期においては、前身のジョイ・ディヴィジョンのポリシーを引き継いで、「アルバムにシングル曲を収録しない」スタンスであったから、アルバム未収録曲を取りまとめている本作はマストアイテムだったといえる。とはいえ、収録曲については痛し痒しなものとなっているのも確かだ。
バンドのターニングポイントとなった2曲がオリジナルではなく、リリース当時のニューアレンジ版になっていたり、他のシングル曲も12inchヴァージョンが主に収録されていたりで、完全網羅とはいえない内容。それでもニュー・オーダーというロックとエレクトロを融合させたバンドの魅力は替え難い
密室的なダンスビートと煌びやかさを備えたシンセサウンドに乗っかる生身の演奏が作り出す刹那的な快楽は80年代に流れる諦念と絶望にも重なり、残響のような傷跡を残していく。行き詰まりの宙吊り状態で重厚さも軽薄さも一緒くたになって踊り尽くす先に鳴り響く音。涅槃的なメロディが伝わる入門盤だ

EP'S 1988-1991

EP'S 1988-1991

・12年発表編集盤。タイトルの通り、88~91年にかけて発表されたEPの収録曲を取り纏めた二枚組アルバム。オリジナルのEP自体が入手困難となっており、このような形でのリリースを期待されていた。一度は発売中止にもなったが、22年ぶりの3rdアルバムリリースに先駆けて改めて発売された
内容としては、バンドがシューゲイザーサウンドを覚醒させる過程が記録されており、1stから2ndへと変遷するサウンドミッシングリンク的な役割を果たしている。結果、両作にはない、荒々しい轟音ギターが聴けたり、バンドのパッションがひしひしと感じ取れるエネルギッシュな魅力が迸る。
ネオアコとネオサイケがエレクトロビートと絡み合い、轟音ノイズが響くサウンドはUSにおけるグランジを先駆けてもいるし、その静謐な音はアンビエントにも肉迫している。エスニックなテイストもあって、シューゲイザーサウンドの骨子を垣間見るようで興味深い。むしろ彼らのコアを知ることが出来る。
80年代と90年代のわずかな狭間でしか生まれ得なかったカオティックな音楽はまた、多くの可能性を秘めた音でもあったというのが、この編集盤からひしひしと感じられるし、実際、独特な響きは抗いがたい時代の魅力の詰まったものだろうと思う。歴史的な隙間を埋める重要作でもあるかと。

Strawberries

Strawberries

82年発表5th。さらにポップ路線を推し進めて、パワーポップと英国モダンポップの間を行き来するような作品。前作での新機軸は一旦、鳴りを潜め、サックスやキーボードなどを重ねた音は70年代中期ごろのモダンポップ的な洗練された響きとずっしりとした重たさを感じる。メロディも多彩だ。
モッズやパブロック、あるいはビートポップ、といった英国の土壌が培ってきたジャンルと非常に地続き感のあるポップスで、後に「ハッピー・トーク」のカバーでヒットを飛ばすことになる、キャプテンセンシブルのポップセンスが大きく影響してるように感じられる。パンク的な凶暴さが皆無なのも興味深い
中には10ccのようなテクスチャの楽曲もあり、もはやパンクの一線を飛び越えて、70年代の高品質ポップに肉迫するようなサウンドとなっている。一方でパンクではない評価をやむを得ないだろう。この手の音をやるにしてもちょっと時代が遅かったようにも思う。そこが無邪気だといえばそうなのだが。
本作で自らの個性に依ってやり尽くした感のあるキャプテンセンシブルは脱退の道を選ぶ。これによって、次の作品が大きく変化してゆくし、ここまでのバンドの集大成的な音が詰まった節目の作品といえるだろう。音楽性の触れ幅が激しくなっていく一方で、伝統的なポップスマナーに忠実な良作だろう。

音楽鑑賞履歴(2017年9月) No.1136〜1147

月一恒例の音楽鑑賞履歴。
前月と変わらず12枚。
今年は残暑もあまり厳しくなく、ここ最近ではいつになく秋の深まりを感じる9月だったかなと。
聴いている音楽もどことなく翳りのある感じのものが多いような気がします。
このまま今年は冬にまっしぐらとなりそうですね。今年もいよいよ年末が近づいてきました。
というわけで以下より感想です。

So, Who's Paranoid

So, Who's Paranoid

08年発表10th。前作のゴシック然としたパンクサウンドから、一転してダムドサウンドの集大成を見せ付けてくる内容。パンクあり、ゴシックもあれば、パブロック、サイケ…と、なんでもござれなサウンドだが、その一方でスタイリッシュにはなり切れない、垢抜けなさをそここに感じる。
なんというか良くも悪くも、英国の下町情緒というか下世話な大衆らしさが濃厚に立ち込めてくる雰囲気というか。小さなライヴハウスで力いっぱい暴れ回る様が容易に想像できるそういったエネルギッシュさと一種の人懐っこさを感じるポップさの洗練しきれない趣がとても彼ららしくもある。
頑なに方向を変えず、愚直なまでに我が道を進み行く姿勢に積み重ねた年輪の厚みを感じさせる。パンクだけに限らず、雑多な要素を含んだものになっているのもバンドの紆余曲折を血肉として、その雑味すら魅力へと昇華しているのだから息の長い活動も頷けるか。未だ現役感の衰えない、強靭な傑作だろう。

Phantasmagoria

Phantasmagoria

85年発表6th。中心人物の一人でもあった、キャプテン・センシブルの脱退もあって、サウンドががらりと変貌したことで知られる一枚。初期のパンクサウンドから一転して、バウハウスや中期のストラングラーズのようなゴシック色が強く打ち出され、陰影のコントラストが濃厚になった音が聞ける。
Voのデイヴ・ヴァニアンの趣味が色濃く反映されているらしく、歌唱も中低音を生かし、朗々と歌い上げるスタイルに変わり、演奏のテンポもやや落として、パンクらしい攻撃性は極めて薄い。が、そういった大胆な路線変更にも拘らず、なにか必然を持って変化したと思う程、アルバムの完成度は非常に高い
キラーチューンらしい楽曲はないが、全体を統一する耽美な美意識とそれを表現してしまえる演奏力の高さがバンドの底知れなさが窺えるというか、まさしく新境地を打ち出せてしまえる引き出しの奥行きの広さに感嘆する以外ない。しかもこの路線変更したサウンドで大ヒットしてしまうわけだから侮れない。
とはいえ、この翳りが強く、湿っぽいメロディラインは英国民謡らしいトラディショナルな趣をそここに感じられるのでその辺りが琴線に触れたのではないかとも想像する。シアトリカルでゴシックな印象がひたすらにカッコいい中期の傑作だろう。初期とはサウンドが全く異なるがまた別の魅力が輝く一枚だ。じっくりと内容で聞かせてくれる。

GAUCHO

GAUCHO

・80年発表7th。長らくグループの最終作だった一枚。名盤たる前作のしなやかなエレガントさやファンキーな趣に比べると、クールな趣がいっそう強まった印象を受ける。その冷ややかさが漂う、乾ききったサウンドはそのままドナルド・フェイゲンのソロ初作である「ナイトフライ」と地続きの音だ。
「ナイトフライ」に比べると全体のコンセプトがない分、より雑多な印象を受けるのが本作と見る向きはありそうか。先の作品がノスタルジーを付与している点もあるが、よりNYという都市の情景がサウンドに色濃く反映されているように感じ取れる。アーバンな雰囲気と人種の坩堝にある響きが映し出される
その完璧主義ともいえる徹底したスタジオワークによって、滲み出てくる緊張感や厳格さには名盤の次作という気負いも感じられるが、それ故ポップさにはやや欠けるか。全体に鈍く輝く硬質なサウンドで、「ナイトフライ」前哨戦という印象が強い良作。作風がブレない分、最終作という気もしないのも特徴か

Songs of Faith &...

Songs of Faith &...

93年発表8th。前作の世界的大ヒットを受けて、その華やかさを削いで、ストイックに音楽性を追求した印象を受ける一作。そういう点では耽美な趣を抑えて、再びマッシヴなインダストリアルサウンドに回帰したとも言えるか。とはいえ、以前の硬質な音に比べると、ずいぶん肉感的な音に変化している。
エレクトロ色とロック色は半々で、その適度に混ざり合っている感じがそういった音の肉付きに影響してるように思う。前作でも感じ取られたブルージーな憂いや本作で感じられるゴスペル的な慈しみが幾分か救いのある響きとなっており、その宗教観は過去作に感じられたものがアップデートされている感触も
よりフィジカルなサウンドになったことで音楽性の奥行きを感じる作品と言ったところだろうか。大ヒットした前作による気負いよりは売れたことによって、大いに音楽の幅を広げた印象が勝る。一方で全体にはいぶし銀的な魅力が光る地味さは拭えないか。派手さには欠けるがしっかり足場を踏みしめた佳作。

This Is What We Do

This Is What We Do

05年発表3rd。ライナーノーツによれば、ジャズロック的なサウンドを標榜した前作から再び、純ファンク路線に回帰した一作との事。実際、のっけからグルーヴィなギターフレーズに乗って、ファンキーサウンドが展開されている事からも明白で、全体にソウルフルな演奏が聞こえてくる内容だ。
ともかく演奏が非常に気持ち良く、気付けばいつの間にか半分を過ぎている、という位にファンクグルーヴが立て板に水のごとく、スムースに展開されるので一気に聞けてしまう。浅くもなくそれほど深くもなく、適度にグルーヴィーでファンキーなリズムとサウンドがとても抜けが良くずっと聞き続けたくなる
バンドの演奏もジャムセッションしてるような感覚で、全13曲の収録曲が1曲のように連綿と続いていくような違和感のなさは、まるで水を飲むような感覚ですっと入っていく。それほどにバンドのグルーヴもいい具合に熟成されているのもあって、なにより楽しそうな雰囲気が伝わる人懐っこい良作かと

ポラリス

ポラリス

01年発表1stMini。元フィッシュマンズのベーシスト、柏原譲が結成したユニット。フィッシュマンズ由来のゆったりとしたダブサウンドの響きを土台にポストロック〜音響系のニュアンスやパット・メセニー辺りのコンテンポラリーなジャズフュージョンの趣も織り交ぜたポップなサウンドが特徴的。
フィッシュマンズの音と比べても、格段にメロウで喉越しのいいたおやかな音が広がっていく。実際リードトラックである二曲が10分超なのだが、冗長になることなく心地よく聴けてしまうのはその隙間の多さと演奏のグルーヴの良さに他ならないと思われる。奥行きの深いベースラインを楽しむ盤だろう
またクリムゾンの「風に語りて」のカバーも収録されているように、メランコリンックさを携えたポップな響きがこのユニットの特徴でもある。憂いに穏やかさと光を織り交ぜることで沈痛な趣を軽減させるというか、ヒーリング的な要素を含むのは00年代的な時代感覚も掬い取れる。秋空にぴったりな良盤だ

クリエイティング・パターンズ

クリエイティング・パターンズ

01年発表4th。前作のジャジーな趣をさらに推進して、レアグルーヴな感触すら覚えるオーガニック(?)なエレクトロと化した一枚。ドラムンベースの特徴である性急なリズムパターンは鳴りを潜め、よりアーバンソウルやライトメロウフュージョンに民俗音楽の色合いを強めた異色な作りになっている。
メンバーがそうであるのも影響しているのか、さらに黒人音楽へと比重を傾けているものとなっており、テクノらしさは皆無であるがエレクトロミュージックを通過したソウルやR&Bという向きは大いに感じられるか。クラブミュージックという枠組みへと、バンドの音楽性が変化したとも言える。
ゆえにもはやドラムンベースとはいえない作りにはなっている(その為か、この作品を実験的、異色作と評するのも理解はできる)が、そのフィルターを通して洗練された新しい黒人音楽として聞くと中々興味深い。ロイ・エアーズやテリー・キャリアーの客演もその流れゆえか。意欲作にして冒険作だろう

Go!プリンセスプリキュアボーカルアルバム1

Go!プリンセスプリキュアボーカルアルバム1

15年発売の同名アニメ作品キャラソン集。OP&ED曲を含めたキャラクターソングアルバム。全体的にはミックスがハイファイな仕様でやや音圧が高め。内容もスローナンバーがなく、アップテンポな曲が続くので元気さと勢いのある、華やかな作品といった印象を受けるか。反面、メリハリには欠ける。
苦言を上げるならば、アルバムの全体的なトーンが一昔以上前の特撮やアニメの雰囲気で、音のテクスチャは現代的なのに楽曲のノリが少しばかり古臭く感じられてしまったのが気になった。オマージュとして理解するが、作品らしい咀嚼と昇華を感じることはなかったか。安定した出来の一方で難しさの残る盤だ

IT'S A POPPIN' TIME (イッツ・ア・ポッピン・タイム)

IT'S A POPPIN' TIME (イッツ・ア・ポッピン・タイム)

78年発表ライヴ盤。六本木ピットインで録音された二枚組ライヴ。村上ポンタ秀一坂本龍一など、当時の山下達郎のレコーディングメンバーとして名を連ねていた錚々たる面子で行われた。が、その実情はスタジオ録音よりライヴ録音の方が費用がかからないという苦肉の策だった模様。
とはいえ収録時間の関係上、二枚組になってしまいレコード会社から売り込みづらいと苦情を言われるオチがついてしまうのだけど、内容は素晴らしい演奏のオンパレードというか、非常にシブい魅力を放つステージが繰り広げられている。ニューソウル的でもありライトメロウでもあり、派手さに欠けるが味わい深い物
ほどよくジャジーでクロスオーバーな演奏に若き日の山下達郎の力強いソウルフルな歌声から売れ線どうこうではなく、いい音楽、演奏を送り届けようという熱気が込められているし、ここまで充実した内容になっているように思う。リマスター版のボートラによって録音当日の主要曲はほぼ収録。質量ある良作

Beyond the Mix

Beyond the Mix

91年発表1st。ハウステクノのゴッドファーザーが送り出した初作。とはいえ、こうやってアルバムのリリースよりはEPやDJプレイなどの活躍が多岐に渡っているので、その全容はなかなか把握しづらいが、このアルバム自体はフロアクラシックをふんだんに詰め込んだ挨拶状的内容。
代表曲でもある3を初めとして、90s初頭のオールドスクール感が強いか。Hi-Fiなメロディとマットな重低音、トーキング気味のラップと、当時を象徴するテクスチャーが所狭しと配置されている。今の音に比べると隙間の多い音なので、そのシンプルさが返ってグルーヴィな心地よさを与えてくれる。
ハウスマナーな四つ打ちのキックにピアノのハイノート気味のリズミックな響きの黄金率は、これぞハウステクノというべきサウンドで、そこの乗っかってくる歌声の高揚感がひたすらに楽しい。ハウステクノにおける金字塔的一枚かと。未リイシュー盤なのでいつかは内容を増補して、出してほしい名盤だ。

Shockwave Supernova

Shockwave Supernova

15年発表15th。名盤といえる出来だった前作から打って変わって、最も穏やかで和やかな雰囲気で覆われた一作だろうか。オーソドックスな何気ない演奏に熟練したテクニックが織り交ぜられており、円熟味を感じさせる。音の方もそういった意味では原点回帰的なニュアンスも含んだものになっている。
1stで繰り広げられたデジタルサウンドと人間が奏でるギターフレーズの融合、というのに再び挑戦しているが、今まで以上にカドの取れた質感でまろやかな味わいになっているという印象。テクノロジーの進化も当然あるが、近年のエモーションを重視したサトリアーニのプレイが柔軟に対応している。
かつてはデジタルサウンドとギターサウンドの拮抗、のようなせめぎ合いが主だったが、本作ではそれらがぴったりと合わさって、聞こえてくる印象を受けた。対立しあうのではなく調和する事に重きを置いているので演奏は非常に心地いいものとなっている。派手さはないが実に味わい深い熟成した一枚だろう

15年発売コンピレーション。同名TVアニメ作品のED楽曲集。前半12話のED曲+劇伴BGMが収録されている。ジャポネスクサイバーパンクハードボイルドニンジャアニメ(?)らしく、楽曲はどれもこれもダーティな響きやバイオニックな奇妙さ、アングラかつアナーキーサウンドが目立つ。
そのトラッシーな印象も相俟って、洗練とは無縁な産廃物的な趣で響くホップ感覚はアウトサイダー的な面白みがあるのも確か。均質化されない個性の強い曲がひしめき合っているのが面白い一方で、Mondo Grosso大沢伸一が手がけたBGM集が実際ワザマエなのも興味を引く良盤だろう。

「少女☆歌劇 レヴュースタァライト -The Live- #1」インプレッション

「世界は舞台、人は役者」(ウィリアム・シェイクスピア:『お気に召すまま』より)


というわけで行ってきました。
少女☆歌劇 レヴュースタァライト -The Live- #1」
渋谷のAiiA 2.5 Theater Tokyoで公演された舞台版の第一幕。早くも来年1月には再上演決定とのことなので、期待の高まる所ですが、今回はその舞台のインプレッション記事を書きたいと思います。


※クリックするとYOUTUBEの当該動画へと飛びます。

先んじてアップされたこの動画を見た瞬間、反応せざるを得なかったというべきでしょうかw おそらく見た人の頭の中には「(少女革命)ウテナだ!」って思う人はたくさんいるかと思います。そして事実、舞台はその通りの展開だった、と形容するほかはないでしょう。もうね、面白すぎてどうしようかと思ったくらいです。少なくともイクニファン、榎戸ファンには間違いなく「案件」の作品です。
いや、むしろ「少女革命ウテナ」という作品で描かれた要素を引き継いで、現代のテクスチャーに刷新した作品と言った方が正しいようにも思います。ノスタルジーを呼び起こすものではなく、ウテナの血脈から描かれる、今に生きる人への物語。そんな印象です。
とはいっても今回は舞台演劇、また再公演が控えているのもあって、多くはネタバレできません。これを書いているのが日曜日で、公演は全了となっています。なので、出来るだけ物語の筋を避けつつ、これから再公演を見る人への注目点だったり、自分が気になった部分、キャスト(声優)の演技などの印象を語りたいと思います。そこを踏まえたうえで、読み進めていただければと思います。

まあどういう作品なのかは、自分が観劇し終わった後に呟いた↓を見て、想像していただければw

これでは何がなんだか、という方には公式サイト(少女☆歌劇 レヴュースタァライト)よりイントロダクションを抜粋しておきましょう。

「舞台女優」を目指す少女にとって「トップスタァ」は永遠の憧れ。
自分の夢、あの日の約束を叶える為に集う「舞台少女」たち。
けれどこの舞台で演じられるレヴューのスタァは、一人だけ。


では、インプレッション始めていきましょう。ちなみに筆者は興業中日の9/23に観劇しました。


1.公演の構成と基本情報

まず演目の構成から。

演劇(ミュージカル)パート:70分
休憩:15分
ライヴパート:30分

演劇で物語を楽しんでから、休憩を挟んでライヴを楽しむという構成でした。筆者も2.5次元舞台はあんまり見に行ったことはないですが、聞き及ぶ限り、わりとベーシックな構成のようです。
演劇パート、というかミュージカルなんですが物語構成上、必要なミュージカル専用曲もあったりで、演技6割、歌唱4割くらいの比率でしたかね。演出の方が宝塚で演出してた方で、脚本がテニミュを手がけたことがある方だったのでそのあたりは磐石な構成で、演出も熟練した巧みなものをだったと思います。クライマックスの演出もかなり滾るものだったと記しておきしょうか。物凄い濃密な70分で↑のような呟きが出る位の面白さでした。
ライヴパートはすでに発売されている1stシングル収録曲と会場限定シングル収録曲全てを披露。詳しい内容は別項にて。

さて。上にあるPVで見ると、登場キャラの公式カップリングが出てきています。今回の舞台もPVの組み合わせ準拠で、進行していくのですが。物語は承前を過ぎると、作品の舞台である「聖翔音楽学園」俳優育成科2年A組の教室風景に移って行きます。そこでの組み合わせは以下の通り。画像は会場にあったキャラパネルです。ついでにキャラの紹介も兼ねて、端的なキャラ属性みたいのも付記しておきます。あくまで筆者の主観ですが。


愛城華恋(CV:小山百代):主役。真っ直ぐな心根でクラスの落ちこぼれ
露崎まひる(CV:岩田陽葵):主役のルームメイトで引っ込み思案

天堂真矢(CV:富田麻帆):完璧主義者なサラブレッド
西條クロディーヌ(CV:相羽あいな):居丈高で才能豊かなフランス人ハーフ

石動双葉(CV:生田輝):面倒見のいいガサツな姉御肌
花柳香子(CV:伊藤彩沙):腹黒お嬢様

星見純那(CV:佐藤日向):メガネな委員長
大場なな(CV:小泉萌香):包容感のあるおっとりとした子

この内、最後の4組目だけは今回の公演では絡みが殆どなかったので今後に期待ですね。他の組み合わせは今回の公演で取り上げられています。4組目の子達は個別に活躍してます。というより、キャスト全員に活躍の場は不可分なくあった感じですね。
このように既に4組8人の組み合わせが出来上がっているわけですが。ここがミソです。彼女たちは「聖翔音楽学園」俳優育成科「第99期生」という設定です。物語の上で「9」という数字が重要なキーになっていて、それはつまり、主要キャラも「8人」ではなく・・・。


「9人目」がいるわけです。

神楽ひかり(CV:三森すずこ):もう一人の主役。クールな転校生。


彼女、神楽ひかりが転校してくる所から物語は動き出します。
さて「9人」という割り切れない人数になったことで、上の組み合わせ構図が揺らいでいくことになります。そして9人目のひかりは「もう一人の主役」と記したとおり、彼女の組み合わせキャラは必然と以下のようになります。

割り切れない人数になったことで弾かれる人間がいるということ。物語も同じくしてそれまでの平穏さから波風が立つように進んでいきます。この辺りは「少女革命ウテナ」のエピソードの基本構成を想像していただければ、よりわかりやすいかと思います。分かりやすく、今回の公演パンフレットから一部抜粋しておくと

彼女(神楽ひかり)の出現を気に突如開催されるオーディションは、
トップスタァになれるというたった一人の座をかけ、
己の夢をかけて戦うバトルロワイヤルだった……。

という風に物語は進んでいきます。そういう筋の中でキャラクターがそれぞれどんな思惑と感情で動いていくのかは伏せておきましょう。ぜひ再上演をその目で確認していただけたらと思います。


2.キャストの演技と気になったところ

ここまで作品の触りとキャラクターを紹介していきましたが実際の所、キャスト(声優)さんの演技はどうだったの?という言う点に触れていきたいと思います。ざっくり箇条書きにしてから、順に触れていきましょうか。個人的に注目したのはこの辺り。


・舞台映えする三森すずこ、それを飛び越えていく小山百代という感性
岩田陽葵と佐藤日向の歌唱力
富田麻帆の大胆かつキレのある殺陣
・豹変度の高い小泉萌香と岩田陽葵


一つ目は主役コンビですね。三森さんが実際宝塚音楽学校を受験したり、声優デビュー以前には舞台・ミュージカル経験を持っているという実力の高さは今回の舞台でも存分に発揮されていた印象で、演技で見ていくと抜きんでているというか、主軸的なポジションを担っているように思えました。その一方で、物語の展開と演出もあるように思いましたが、小山さんの演技も目を見張るというか、由緒正しく(?)経験とは別の所にある嗅覚というかこの展開でこう演技するのかという感性の輝きが三森さんの技をひょいと飛び越えていった瞬間がそのまま、舞台の演出にもなってるという辺りが興味深かった。

二つ目。ミュージカルでもライヴでも歌唱で一番目を引いたのはこの二人。というより全キャスト、歌唱になると平均以上の実力を叩き出してるのがとんでもなかったわけですが、中でも星見純那(CV:佐藤日向)と露崎まひる(CV:岩田陽葵)のパフォーマンスが抜けていた印象。佐藤さんの方はプロフィールを見るとあのBABYMETALのメンバーを輩出したアイドルグループ「さくら学院」の元メンバーだそうで、パフォーマーとしての実力は折り紙付きの模様。なにより演劇で一番最初に歌唱する人であり、ライヴでもリードを取っている回数が多い印象が強かった。岩田さんについても舞台経験者で舞台度胸のある芯の強い歌唱だったのが演じるキャラクターとのギャップにもなっていて印象的だった。というより、三森さんも歌については実力ある人なのに、このメンバーの中だと突出したレベルではないというのに凄まじさを覚えるなどした次第。

三つ目。物語の展開上、殺陣シーンがあるんですがその場面で一番キレのいいアクションをしていたのが天堂真矢(CV:富田麻帆)。他のメンバーがわりと演舞的な動きをしてたのに対して、富田さんは腰を落とした構え方や、体を大きく動かすアクションなどを積極的にこなして、演じるキャラクターの存在感と強さを体から表現していた印象を受けた。というより、声優活動だけでなく実写俳優もいけそうなアクションをしていたなと。そういって所もあってか、個人的には天堂真矢(CV:富田麻帆)と西條クロディーヌ(CV:相羽あいな)が好きになりました。

四つ目。この二人については演じているキャラの建前と本音のギャップが強いことに尽きる。普段、柔和だったり、おとなしい子がひとたび変わると、というのが一番よく表れていた二人なのではないかと。この作品の登場人物はどの子も表と裏のある感じだけど、露崎まひる(CV:岩田陽葵)と大場なな(CV:小泉萌香)は普段が抑制的な分、触れ幅がでかい印象だった。まあ、バーサーカーになるとかそういうのではないんだけど。注目すべきはどちらの顔もその人らしい一面であり、ひっくるめて一人の人間という描きが演技に内包しているのが良かったかなと。無論、他のキャラにも言えることだが。

とまあ、特に目を引いたのはこの4点。石動双葉(CV:生田輝)と花柳香子(CV:伊藤彩沙)のコンビはこのコンビで想定されるだろう関係性を見事にやってのけていて、カップリングの美味しさが良く出ていた二人だなと思う一方で、今回について言えばバイプレーヤー感が強めだった。同様に西條クロディーヌ(CV:相羽あいな)も天堂真矢(CV:富田麻帆)を引き立てる役に徹してた感じ。キャラが華やかだから、気にはならなかったけども。

またメインキャスト以外に理事長(だったはず)役で椎名へきるさんが出演しており、生徒たちに試練を与えるキャラとして存在感を出していましたね。キャラのイメージはまんま「ガラスの仮面」の月影先生ですが、引き締め役としても物語のバックボーンも担っていそうでこちらも期待が高まります。


それぞれにぞれぞれの見所があって、キャストさんの生の演技がアニメになるとどうなるのか、という辺りの興味も出てきて、今後が楽しみになったというところが大きい。この辺り、声優さんと舞台のキャストが一緒というポイントが活きてくれればいいなと思った。

気になった点は今後の展開か。アニメと展開が連動していくようなので、彼女たちに共通するバックボーンがあってそれが大きな影響を与えているという情報が台詞のやり取りから出てくるのだが、今回は詳しく掘り下げられていないので気になる部分だった。どうも物語の一年前に何かあったようなのだが。それをいうと承前のシーンも気になるし、前述したように絡みの薄いカップリングや、掘り下げの少なかったキャラクターもいるのでその辺りも次回以降の楽しみになっていきそう。早くも続きが見たくなっているし、再上演でもういちど#1を見たくもあるので、いい具合に踊らされてる客だと思いますw

3.ライヴパートについて

最後はライヴパートについてです。
30分という短い尺ながら現時点である楽曲は全て披露した、充実の内容でした。
なおMCは一切なく、殆どメドレーで一気呵成に歌っていく構成。
セットリストは以下の通りです。


1.舞台少女心得(歌:スタァライト九九組【全員】)
2.願いは光になって(歌:スタァライト九九組【全員】)
3.情熱の目覚めるとき(歌:星見純那(CV:佐藤日向)、露崎まひる(CV:岩田陽葵)、大場なな(CV:小泉萌香))
4.GANG☆STAR(歌:天堂真矢(CV:富田麻帆)、西條クロディーヌ(CV:相羽あいな)、石動双葉(CV:生田輝)、花柳香子(CV:伊藤彩沙))
5.Fancy You(歌:愛城華恋(CV:小山百代)、神楽ひかり(CV:三森すずこ))
6.Star Divine(歌:スタァライト九九組【全員】)


以上、全6曲。どんな感じの曲かはクロスフェード動画が公式からアップされているので以下にリンクを貼っておきます。

会場限定シングルは後日、ポニーキャニオンの通販サイトで購入が可能になるようなので欲しい方は是非。
1stシングルは既に発売しています。
とはいえ、先ほども触れましたが全員何らかの舞台経験やらパフォーマンス経験があるからか、舞台で歌うことに躊躇がなくそれぞれ自分の実力を出していた印象。特に9人全員の歌唱曲はキャスト全員が一丸になって歌う様に溌剌としたエネルギッシュさが感じられ、これから紡がれていく物語の船出として、期待を感じさせるものになっていたかと。ユニットソング(3〜5)はそれぞれのキャラの魅力を活かした内容。その中でもスローナンバーである3を歌う二人の高い歌唱力が一歩抜きん出ていたか。ラストの曲は作品のテーマソング。これとは別にTVシリーズのオープニング曲が作られるのか、はたしてこの曲を使ってくるのか、というくらいのポテンシャルのあるキャッチーな曲であり、ラストナンバーだけあってメンバーの気合も入っていたように思えた。

曲が終わるとカーテンコールが二度。オールキャストが出払った後、両端に残った三森さんと小山さんがお互いの顔を見て、示し合わせて去って行ったのが印象的だった。2時間弱のステージではあったが、あまりにも充実度のある公演で会場を出た後の脳内は歓喜と混乱が入り混じったもので今後がいっそうに楽しみなったのは言うまでもなく、行って良かったと素直に思ったのでした。


《終わりに》

以上、「少女☆歌劇 レヴュースタァライト -The Live- #1」のインプレッションでした。
ここまで来るとアニメの放映はいつになるか、やきもきするところなのですが1月に再上演が決まっていることからも少なくとも年内の放送はなさそうなのがきになりますね。今のところ、放送時期が分かっていないので早ければ来年の年頭、もしくはそれ以降という感じでしょうか。どちらにせよ、舞台版がここまで面白いものになっているので、アニメの方も負けないものを送り出して欲しいと期待して待っています。そして#1の再上演はもちろん、#2の公演も首を長くして待ってますので。


スタッフもこの呟きの通り、こういうスタッフィングなのでしてね。どういう映像が繰り出されてくるのか、楽しみです。PVを見ている限り、期待にこたえてくれる事でしょう。
まあ、こういう記事も書いたのも筆者にとって、ぶっ刺さるものがあまりにもありすぎたのでこうして書いているわけでして、そういう楽しみな作品が出てきたことに感謝しかありません。それだけの熱量のある作品だと思いますので、今後も注視して追って生きたいところです。
ただただ面白かったです。
再上演行きたいなあと思いつつ、今回は以上。
ではまた。

#04:好きな男性キャラ。

今回もTwitterの「#1ふぁぼごとに好きなキャラを晒すからどんどん来いよ」のハッシュタグを利用して、好きな男性キャラを呟いたまとめです。簡単に言えばTwitterの呟きまとめです。

11ふぁぼもらったのでそれぞれ11人ほど取り上げております。先のヒロイン編より、より傾向がはっきりしたチョイスになったなと思います。同じように思いつくがままに選んでますけど、自然と共通するものが出たような感じに。まあ何はともあれご覧ください。以下より始まります。

好きな男性キャラ11人

 

 

以上、11人。なんかこう孤独を抱えた人間というか孤高の存在がすきなんだなあと改めて。あと腹の内が読めないやつと飄々とした感じとか。下手にアツさを感じさせるやつより、ドライなやつとか、ローテンションな一面が好きなのは女性キャラにも共通する所ではあるかと。まあ、描写の匙加減ひとつ、好みが左右されたりするのでなんともいえませんが。好みな部分にはまれば、上に挙げたような性質のキャラも平気で好きになるので節操はないのかなとも。

まあ、好みの傾向が見えて面白いのではないかと思います。そういう部分を楽しんでいただければ幸いです。

それではまた。